TBS「世界陸上」テレビ演出の変遷 ~織田裕二&中井美穂コンビの名場面集~
2025.06.09投稿
はじめに – 名物コンビが生んだ伝説の幕開け
1997年、ギリシャ・アテネで開催された世界陸上。
ここからTBSの名物コンビ、俳優の織田裕二さんとフリーアナウンサーの中井美穂さんによる伝説の実況が始まりました。当初は「俳優がスポーツ中継?」と驚く声もありましたが、織田さんの暑苦しいまでの情熱と中井さんの巧みな進行が掛け合わさり、たちまち深夜放送の目玉となっていきます。
織田さんは初回からエンジン全開で、スタジオで声を張り上げ選手に熱いエールを送り、中井さんが「はいはい、落ち着いて!」と笑顔でなだめる――そんな微笑ましいコンビ芸が早くも定番となりました。以降、2022年のオレゴン大会まで 13大会連続 で二人はメインキャスターを務め上げ、“世界陸上=織田&中井”という図式を視聴者に刷り込むほどの存在感を放ちました。
1997年 アテネ大会 – 深夜の興奮、生中継スタート
織田&中井コンビ初陣の1997年アテネ大会。
当時TBSはこの大会から世界陸上の放映権を獲得し、織田さんと中井さんを据えた深夜の生中継がスタートしました。東京のスタジオから届けられた放送は、祭典の地アテネの熱気に負けじと織田さんが ハイテンション で飛ばします。
男子短距離決勝で世界新記録が生まれかけた瞬間には、織田さんは思わず立ち上がり「うおお!」と雄たけび。中井さんが苦笑しつつ「織田さん、カメラに戻ってください」とフォローする場面もありました。まだ手探りだった演出も、「とにかく熱く楽しく伝えよう」という意気込み十分で、視聴者の夜更かしを盛り上げました。
1999年 セビリア大会 – 真夏のスペインで情熱解説
2大会目の1999年セビリア大会。
この年は灼熱のスペイン開催で、競技は深夜の時間帯にも関わらず気温も熱気も最高潮。織田さんは スペイン語 を交え「オラ!」「アミーゴ!」と陽気に叫びつつ、世界記録が出れば「グラーシアス!」と謎の感謝? 真夏の情熱的な実況を繰り広げました。
中井さんも「今のは『ありがとう』ですね?」と冷静にツッコミ、スタジオには笑いが絶えません。男子400mではレジェンドのマイケル・ジョンソンが驚異の世界新を樹立。織田さんは「でたー!世界新記録!」と叫び、「今夜は寝かせませんよ!」と視聴者に宣言。中井さんは「本当に寝られませんね」と苦笑するほかありませんでした。
演出的にはこの頃まだシンプルなスタジオセットでしたが、織田さんの ハイテンション解説 こそが最大の演出効果を生んでいたのです。
2001年 エドモントン大会 – 日本人初メダルと涙の実況
北米開催となった2001年エドモントン大会。
この大会で、日本陸上界に大きなニュースが飛び込みます。男子400mハードルで為末大選手が日本人初のトラック種目メダル(銅)を獲得!
織田さんは深夜にも関わらずスタジオで号泣寸前。「涙が出てきた!なんだよコレ!」と感極まって叫び、中井さんがハンカチを差し出す場面も。実は織田さん自身も学生時代に陸上経験があり、為末選手への思い入れはひとしおだったようです。
中井さんは「織田さん、本当に良かったですね」と優しく声をかけ、織田さんは鼻をすすりつつ「はい…地上波で泣いてすみません!」と笑わせました。スタジオ演出としては、日本初メダルに合わせて急遽日の丸のミニ旗がセットに登場し、二人で掲げて祝福する微笑ましいシーンも。
視聴者にとっても忘れられない、日本陸上の歴史的一ページとなりました。
2003年 パリ大会 – 「事件はパリで起きてます!」名言誕生
2003年は花の都パリで開催。
ここで飛び出したのが織田裕二さんの伝説的フレーズ、「事件はパリで起きてます!」。これは織田さん主演のドラマの名セリフをもじったものですが、男子200mで末續慎吾選手が日本短距離史上初のメダルを獲得した瞬間、織田さんは興奮のあまりこの言葉を絶叫。
スタジオで飛び跳ねる織田さんに、中井さんは思わず大笑い。「本当に事件(大偉業)が起きました!」とフォローしつつも、その場の空気は大歓喜と爆笑に包まれました。織田さんは感動のあまり「涙が出てきた!なんだよコレ!」と再び名言を残し、目を潤ませて末續選手の快挙を称賛。
この大会あたりから、スタジオ演出も少しずつ進化。競技前後に選手紹介VTRが流れ、渋い声のナレーションとドラマチックなBGMで盛り上げる演出が登場します。織田さんはVTR明けにさらにテンションを上げ、「今大会、一番のハイライト来ましたよ!」と視聴者の心を掴みました。
パリ大会は視聴率的にも深夜帯ながら好成績を収め、TBS社内でも「織田&中井コンビの貢献度大」と絶賛されたそうです。
2005年 ヘルシンキ大会 – 雨中の熱唱?そしてテーマ曲誕生
2005年ヘルシンキ大会は冷たい雨が降りしきる中で行われました。
しかし悪天候も織田さんの熱さを冷ますことはできません。男子400mハードルでは、あの為末大選手が4年ぶりに銅メダル獲得!織田さんはスタジオで拳を振り上げ「タメ、帰ってきたー!」と大はしゃぎ。中井さんも「織田さん、興奮しすぎです!」と笑顔でツッコミました。
さらにこの大会から、TBS中継テーマソングとして織田裕二さん本人が歌う「All my treasures」が登場。織田さんは番組終盤にこの曲のサビを口ずさみ、「名曲でしょう?僕が歌ってます!」と自画自賛。中井さんに「宣伝はほどほどに…」と軽くたしなめられる一幕も(笑)。
実はこの「All my treasures」、前回大会の放送から挿入歌的に使われ始めていましたが、このヘルシンキ大会で正式にテーマ曲となり、なんと大会公式ソングにも採用。織田さんは開会式でこの曲をフィンランドの空に響かせるという、大役まで果たしました。
雨のヘルシンキで織田さんが魅せた熱唱と熱血のスタジオは、視聴者に強烈な印象を残しました。
2007年 大阪大会 – 地元開催でテンション最高潮
迎えた2007年大阪大会。織田さんにとって初の“主催国”での世界陸上です。
TBSはこの大会から現地に特設スタジオを構え、織田&中井コンビも大阪・長居陸上競技場スタンド内から生放送で進行しました。地元ということもあり、織田さんのテンションは史上最高!男子400mハードルでは惜しくも為末大選手が予選敗退となり、織田さんは思わず「何やってんだよ、タメ!」とテレビの前で悔しさのあまり大絶叫。これには中井さんも目を丸くし、一瞬スタジオが静まり返りました(後日このシーンは「織田裕二、為末選手に思わず喝!」と話題に)。
しかし織田さん、すぐに我に返り「す、すみません…!」と平謝り。中井さんは苦笑しつつ「その気持ちは皆同じです」と優しくフォローし、スタジオは和やかな笑いに包まれました。
さらに男子100m決勝、タイソン・ゲイ選手ら世界最速スプリンターが集うレースでは、織田さんが興奮のあまり「ゲイが来た!ゲイが来たぞ!ゲイだ!ゲイ、ゲイ!ゲイだぁ!!!!」と連呼するハプニングも。深夜にテレビを見ていたお茶の間からは思わず吹き出す人続出です。
極めつけは、その100m決勝で繰り広げられた超高速バトルを目の当たりにし、「地球に生まれてよかったー!」とのけぞり叫んだ名言。これは世界最高峰のスプリントに感動が爆発した瞬間で、織田さんの喜びの絶叫に会場の観客も拍手喝采でした。
地元開催の興奮と相まって、大阪大会はまさに織田さん劇場。「織田裕二さんと中井美穂さんが世界陸上を卒業するなんて寂しい」という声が早くも上がり始めたのも、この頃です。
2009年 ベルリン大会 – ボルトの衝撃と「ベルリンの壁越えちゃうわけだ!」
2009年、舞台はドイツ・ベルリン。
大会前から「ジャマイカの新星ウサイン・ボルトに注目!」と織田さんは興奮気味に語っていましたが、その期待を上回る衝撃が世界を駆け巡ります。男子100m決勝、ボルト選手が9秒58という前代未聞の世界新記録で優勝!織田さんはあまりの速さに開いた口が塞がらず、一瞬言葉を失いました。
中井さんが「織田さん…?」と促すと、我に返った織田さん、「すみません、驚きすぎて魂が抜けました!」と苦笑。それでも興奮冷めやらぬ織田さん、女子棒高跳ではエレーナ・イシンバエワ選手が記録更新を連発する様子に、「ベルリンの壁越えちゃうわけだ!!」と大ウケの名実況。東西冷戦の象徴「ベルリンの壁」を飛び越えるほどの偉業だ!という織田さん流の賛辞に、中井さんも思わず吹き出し「上手いこと言いましたね~!」と感心しました。
ベルリン大会では高速カメラやグラフィック技術も進化し、ゴール直後にCGで「9.58」の数字がスクリーン一杯に表示されるなど映像演出も派手に。実はこの頃、TBS社内の番組審議会でも織田&中井コンビの演出が評価され、「彼らがいるからこそ夜中でも視聴者を引きつけられる」と絶賛の声が上がっていました。
ボルトの超人ぶりと織田さんの 超人実況がシンクロしたベルリン大会は、「世界陸上は面白い!」という評判をさらに高めたのです。
2011年 大邱大会 – 波乱のスタートも「次に行きましょう!」
2011年、韓国・大邱(テグ)大会。
男子100m決勝で絶対王者ウサイン・ボルトがまさかのフライング失格という大波乱が起きました。スタート音と同時にフライング判定が出ると、織田さんは「あっ…ボ、ボルトが…」と絶句。テレビの前の視聴者も凍りつく中、中井さんが「信じられません…」と声を絞り出しました。
しかしその後、織田さんは持ち前の前向きさで「切り替えていきましょう!次に行きましょう、次!」とコメント。実はこれ、選手たちが一番ショックを受けているはずだから、次の種目に気持ちを向けようという優しい気遣いでした。この発言に中井さんも深くうなずき、「そうですね、まだまだ見所がありますから」とフォロー。
さらに大会後半、男子ハンマー投げで室伏広治選手が金メダルを獲得すると、織田さんは一転、大興奮で 雄叫び を上げます。「室伏、金メダルォォ!!」と声を裏返して歓喜する姿はまるで子供のようで、中井さんも思わず拍手。織田さんは「いや~興奮しすぎてカンペ読むの忘れました!」と笑わせ、視聴者をほっこりさせました。
この大会ではBS放送での生中継やハイライト番組も充実し、TBSの放送体制も強化。スタジオセットは引き続き現地スタンド内で、背景に広がる大邱の夜空と照明が美しく、織田さんは「まるでお祭りですね!」と嬉しそうでした。
2013年 モスクワ大会 – 熱すぎてクレーム!? 織田節炸裂
ロシアで開かれた2013年モスクワ大会。
この頃になると織田さんの「織田節」 は完成の域に達し、ますますヒートアップ。男子短距離種目の実況で思わず「霊長類なめんな!」と口走ったのもこの大会です(※人類=霊長類の頂点だぞ!という意味で、織田さんなりの最大級の賛辞)。
中井さんは「猿じゃなく人間ですよ~」と突っ込みつつ大笑い。さらに女子マラソン中継中、コース閉鎖のタイミングで混乱が起きた際には、織田さんは自身の主演映画の名台詞をもじって「マラソンゲート、封鎖できません!!」と絶叫。これは織田さん流のジョークで、緊迫した状況を和ませる神対応実況でした。スタジオのスタッフも大ウケし、中井さんも「出ました名セリフ!」と大笑い。
しかし――このように織田さんがはしゃぎすぎたことに対し、大会後に思わぬクレームが入ります。日本陸上競技連盟が「番組演出が騒がしすぎるのでは」とTBSに改善を要望したのです。織田さん本人は「視聴者に陸上の楽しさを伝えたいだけなのに…」と不満げだったようですが、25年に及ぶ実況の中でもこの年は特にヒートアップしていたのは事実。
当時を振り返り織田さんも「ちょっとやりすぎちゃいました」と苦笑しています。でも視聴者としては、「それくらい熱い織田裕二が好きだったのに!」という声が大半。実際ネット上でも織田さん降板の噂が立った際、「織田裕二の熱さがないと世界陸上じゃない」との声が続出したほどで、この出来事は「織田裕二=世界陸上」という図式をあらためて印象付ける結果にもなりました。
2015年 北京大会 – ライバル対決に燃えすぎて…?
舞台は中国・北京へ。
2015年大会は男子短距離界で因縁の対決が注目を集めました。ウサイン・ボルト vs ジャスティン・ガトリン、宿命の100m決戦です。織田さんもこのカードに最初から大興奮で、スタジオ入りの時点で「今日は歴史的一日になる!」と宣言。
レースが近づくと興奮はピークに達し、「織田さんが 歌い出しそう だ」とSNSでも話題になるほどでした(テーマ曲「All my treasures」を口ずさむ姿がカメラに抜かれていました…!)。
いざ決勝が始まると、織田さんは「行け、ボルト!負けるなガトリン!」とどっちも応援する暴走状態。しかしボルトの勝利が決まると「やったぁぁ!」と絶叫しガッツポーズ、その勢いで「All my treasures」をワンフレーズ熱唱(笑)。中井さんが「織田さん、本当に歌っちゃいましたね…」と呆れつつ爆笑する場面もありました。
演出面ではこの大会から大型モニターがスタジオに導入され、選手の過去映像やレース分析VTRを織り交ぜるスタイルが強化。織田さんもモニターを指差し「ここ注目!」と解説するなど、少し専門家らしさも見せ始めました。しかし根っこの部分は変わらず、興奮すると立ち上がりマイクを外して大声で叫ぶ織田節は健在。中国語で「加油(ジャーヨウ、がんばれ)!」と絶叫してみせたり、終始テンションMAXのまま駆け抜けた北京大会でした。
2017年 ロンドン大会 – ボルト敗北、そして感じた時の流れ
2017年はイギリス・ロンドン大会。
ここで陸上界に一つの区切りが訪れます。絶対王者ウサイン・ボルトがラストランの大会となり、100m決勝でまさかの3位に敗れたのです。織田さんは「ボルトが負けた…」と呟き、どこか寂しそうな表情。「時代が動きましたね」と中井さんもしんみりしました。
織田さん自身もこの時53歳。スタジオで「ボルトも人間、僕らも年を取るわけだ…」とぽつり。中井さんが「織田さんは変わらずお若いですよ!」とフォローすると、「いや~僕もいつまで飛び跳ねていられますかね?」と笑いました。
そんな少ししみじみムードの織田さんでしたが、男子4×100mリレー日本チームが銅メダルを獲得すると一転して大はしゃぎ!「も~~ぉ!今日観なかったらアホ!!…言い過ぎた!!」と興奮のあまり暴言交じりの名言も飛び出し、中井さんが「言い過ぎです!」と即座にツッコミ。スタジオは笑いに包まれました。
演出面ではこの大会、スタジオの大型スクリーンに各種目の世界記録ペースをCG表示するなど最新技術を駆使。織田さんも「記録と一緒に走ってるみたいだ!」と子供のように目を輝かせていました。
ボルト時代の終焉とともに織田さんも少ししみじみモードになったロンドン大会。しかし最後は「まだまだ俺たちの世陸は終わらない!」と視聴者に呼びかけ、会場の観客と一緒にお祭り騒ぎで締めくくりました。
2019年 ドーハ大会 – リレー快挙と進化するスタジオ演出
中東カタールでの2019年ドーハ大会。
高温多湿の厳しい環境でしたが、日本勢が大健闘しました。男子4×100mリレーで日本チームが2大会連続の銅メダルを獲得し、織田さんは「来た来た来たぁ!バトンが繋がったぁ!」と絶叫。バトンパス成功の度に飛び上がって喜ぶ姿はまるで子供のようで、中井さんも「織田さん、落ち着いて!」と笑いながら肩に手を置く始末。
織田さん、「今日寝れないよ?言っとくけど!!!」と視聴者に向かって叫び、「こんな興奮、誰か共有して!」と深夜のテンションで盛り上げました。
演出面では、スタジオは引き続き大会現地の特設ブースですが、周囲360度にLEDパネルを配置し、競技場の映像や各種データを映し出すハイテク演出が登場。まるでスタジオ全体が巨大スクリーンに包まれたような臨場感で、織田さんも「ここドーハ!?って錯覚する!」と驚いていました。
ナレーションも以前にも増してドラマチックに。各種目の前に流れる煽りVTRでは、有名声優による重厚な語りが入り、織田さんが「出た!○○さんの重低音ボイス!鳥肌!」と反応する場面も。TBSの中継技術が着実に進化していく中でも、織田&中井コンビの視聴者を巻き込むパワーは健在で、深夜にも関わらず日本中を熱狂させました。
2022年 オレゴン大会 – XRスタジオの未来感&最後の名コンビ実況
そして織田&中井コンビが揃って担当した最後の大会となった2022年オレゴン大会。
コロナ禍明けで米国開催となった今回は、なんと放送の舞台は再び東京のTBSスタジオ。その代わり、XR技術 を駆使した最新鋭のバーチャルセットが登場しました。巨大なLEDスクリーンにオレゴンの競技場映像をリアルタイムで映し出し、織田さんと中井さんがあたかも現地にいるかのように番組進行するという画期的な演出です。
スタジオの床や背後には大会ロゴやトラックの映像が合成され、織田さんは「うわ、本当にトラックに立ってるみたいだ!」と大興奮。中井さんも「技術の進歩はすごいですねぇ」と感心しきりでした。
肝心の競技では、男子100mでサニブラウン・ハキーム選手が日本人初のファイナリストになる快挙!織田さんは感極まり男泣き、「サニブラウン、やったぁ…!」と声を震わせます。中井さんももらい泣きし、「織田さん、25年やってきて良かったですね」と声をかけると、織田さんは涙を拭いながら静かにうなずきました。
その表情は充実感と寂しさが入り混じっていましたが、エンディングでは笑顔で「見てないというアナタのためにも、見たというアナタのためにも!!!ハイライトお届けしました!」と最後の名言(早口言葉?)を決めてくれました。こうして熱狂と笑いに満ちた25年間の実況に一区切りがついたのです。
2023年 ブダペスト大会 – 名物コンビ不在、そして伝説へ…
2023年ハンガリー・ブダペスト大会。
この大会はついに織田裕二さんと中井美穂さんが卒業した後、初めての“世陸”でした。TBSのメインキャスターは石井大裕アナウンサーと江藤愛アナウンサーという局アナコンビ。石井アナは現地リポート経験豊富で、「織田さんの後任」と意気込んでいましたが、番組開始早々「思いが高まりすぎてスタジオを飛び出しました!」と競歩のコースから中継するなど、かなりの熱量。
しかし視聴者からは「やっぱり何か物足りない…」という声も聞こえます。そう、25年もの間染み付いた“織田裕二ロス”です。織田さんのあの 暑苦しいほどの情熱 や名言が聞こえない実況に、「静かすぎて寂しい」「織田裕二が必要だ!」とSNSで話題になりました。
実際、織田さんはこれまで「好き嫌いはあれど、気づけば世界陸上=織田裕二と刷り込まれた人が多い」と評されるほど影響力が大きく、TBSもその存在の大きさを再認識したようです。
大会自体は新体制で滞りなく進行し、技術的にも安定した中継でしたが、画面のこちら側では多くのファンが織田&中井コンビの過去の名場面を思い出しては懐かしさに浸っていました。
おわりに – 織田&中井の「世陸愛」は永遠に
以上、1997年から2023年までのTBS「世界陸上」中継におけるテレビ演出の変遷と、織田裕二さん&中井美穂さんコンビの名場面を振り返ってみました。
深夜にも関わらず視聴者の眠気を吹き飛ばす織田さんの熱狂実況と、それを笑顔で受け止める中井さんの名サポート。この名物コンビが生み出した数々の名言は、「地球に生まれてよかったー!」「なにやってんだよ、タメ!」など今でも語り草となっています。
織田さんが時に「騒ぎすぎ」と批判されることもありましたが、それすら含めて二人の掛け合いは世界陸上中継の最大の見どころだったのは間違いありません。
近年は映像技術の進歩でXRスタジオなど派手な演出も登場しましたが、それに負けないくらい派手で熱い織田さんの実況があったからこそ、我々視聴者は毎回笑って泣いて楽しめたのだと思います。織田裕二さんと中井美穂さんのコンビは卒業しましたが、その「世陸愛」は2025年東京大会にも特別アンバサダーという形で引き継がれることになりました。
これからも彼らが残した名シーンの数々は、世界陸上ファンの胸にずっと刻まれていくことでしょう。懐かしさと笑いに包まれたあの日々に感謝しつつ、「あー、地球に生まれて良かったー!!」と叫びたくなるような感動を、また次の世陸でも味わえることを期待したいですね。