TBSと世界陸上(世界陸上競技選手権大会)の関係は、1997年大会から本格的に始まりました。第1回大会(1983年ヘルシンキ)はテレビ朝日、第2回~第5回大会(1987年ローマ~1995年イエテボリ)は日本テレビが放送を担当していましたが、第6回大会となる1997年アテネ大会以降、日本における放映権はTBS系列に移りました。
TBSは1997年よりIAAF(国際陸上競技連盟、現在のワールドアスレティックス)のオフィシャルブロードキャスターとなり、以来世界陸上を「世陸」の愛称でも親しまれる看板コンテンツに育て上げました。
このパートナーシップ成立の背景には、TBSの熱意ある戦略がありました。当時TBSは、オリンピックやサッカーW杯に負けないスポーツコンテンツを模索しており、世界中の超人アスリートが集う世界陸上に着目しました。1997年大会からの中継権獲得にあたり、TBSは大会を単なる競技中継ではなくエンターテインメント性も加味した番組として演出し、新規ファン層の開拓を目指しました。こうして世界陸上とTBSの「熱い夏」が幕を開けたのです。
織田裕二の世界陸上初登場と熱い司会ぶり (1997年~)
TBSが放映権を得た1997年アテネ大会で大きな話題となったのが、俳優の織田裕二さんの起用です。織田裕二さんは当時『東京ラブストーリー』(1991年)や『踊る大捜査線』(1997年)などのヒット作で日本を代表する人気俳優でした。その織田さんがスポーツ中継のメインキャスターに初挑戦するという異例の抜擢が実現し、以後25年にわたり「世界陸上といえば織田裕二」という存在感を放つことになります。実際、織田さんとフリーアナウンサーの中井美穂さんは1997年アテネから2022年オレゴンまで13大会連続でメイン司会を務め、「名コンビ」として番組を支え続けました。
初登場当初の織田さんは、そのハイテンションな実況スタイルで強い印象を残しました。競技中は興奮のあまり声を張り上げ、選手に熱いエールを送るその姿勢は、「まるでドラマの主人公がスポーツ会場に現れたようだ」とも評されました。しかし一方で、当初は「テンションが高すぎる」「感情が直球すぎる」との批判も一部から寄せられました。特に陸上競技の熱心なファン層からは、「競技そのものに集中しづらい」といった指摘もあったと言います。それでも織田さんは持ち前の情熱を貫き、徐々にそのスタイルは世界陸上の名物として定着していきました。
織田裕二さんの印象的な発言もまた、毎回話題になります。1997年のキャスター就任以降、多くの名言・名場面が生まれましたが、中でも有名なのが「地球に生まれてよかったー!」というフレーズです。これは2007年大阪大会・男子100m決勝でタイソン・ゲイやアサファ・パウエルら世界最速のスプリンターが激突した際、織田さんが興奮のあまり発した一言で、その後彼の代名詞となりました。お笑いタレントの山本高広さんがこのシーンのものまねで「地球に生まれてよかったー!」と絶叫し、一層この名言の認知度が高まったことも有名です。
また、日本のハードル選手・為末大さんに対し思わず「何やってんのよ、タメ!」と親しげにニックネームで呼びかけた場面も話題になりました。織田さんが日本代表選手に感情移入しすぎるあまり飛び出したこのセリフは、賛否を呼びつつも「選手への愛情の裏返し」として記憶されています(※朝日新聞インタビューで織田さん自身が裏話を語っています)。
こうした熱い名言の数々が生まれるたびに、ネット上でも大きく拡散され、“織田節”とも言える独特の実況は世界陸上の風物詩となりました。
織田裕二&中井美穂:名コンビとキャスター陣の変遷
1997年から長きにわたり世界陸上中継の顔を務めた織田裕二・中井美穂コンビは、まさに大会の象徴的存在でした。織田さんが情熱的に盛り上げ、中井さんが冷静かつ的確に番組進行をするという絶妙な役割分担で、多くの視聴者を魅了しました。
中井美穂さんは元フジテレビの人気アナウンサーで、織田さんとのコンビでは主に競技結果の整理や選手へのインタビュー紹介などを担当。織田さんの熱量を受け止めつつ、巧みに番組を回すその手腕から、視聴者のみならず織田さん本人からも全幅の信頼を寄せられていたと言います。中井さん自身、「織田さんの熱いMCに助けられ、熱い夏は私にとって遅れてきた青春でした」と25年を振り返り、感謝の言葉を述べています。
他のキャスター陣や出演者の変遷も、TBS世界陸上中継の歴史には存在します。例えば各大会では、専門種目ごとの解説者として元トップアスリートが招かれてきました。織田・中井の両名がスタジオ・メイン司会を務める一方、競技ごとの実況はTBS系列のスポーツアナウンサーが担当し、技術的解説にはオリンピアンやメダリストが顔を揃えます。ハードルの為末大さん、短距離の朝原宣治さん、棒高跳びの澤野大地さん、マラソンの高橋尚子さん(Qちゃん)など、その時々で専門知識を持つレジェンドが放送席を彩りました。彼らは選手目線での解説やエピソード紹介を行い、織田さんと共に大会の盛り上げ役を担いました。
またインタビュアーの面では、各大会で日本人メダリストや入賞者へのインタビュアーを務める役割としてTBSのスポーツ記者・アナウンサー陣が登場します。現地の混合エリア(ミックスゾーン)から選手の生の声を届ける彼らの存在も重要で、織田・中井コンビが待つスタジオに熱気あふれるコメントを送り届けました。
大会によっては織田さん自身が海外スター選手への直撃インタビューを敢行する場面もありました。実際、織田さんは大会前に自ら海外へ足を運び、ウサイン・ボルトやエレーナ・イシンバエワ、アリソン・フェリックスといった世界的アスリートに事前取材し顔を覚えてもらうなど、キャスターとして精力的に取材活動を行っていました。こうした地道な努力によって培われた信頼関係が、本番での独占インタビューや選手の素顔を引き出す場面につながっています。
キャスター陣の大きな節目として挙げられるのが、織田裕二さんと中井美穂さんが2022年オレゴン大会を最後に番組を“卒業”したことです。25年間・13大会連続で世界陸上を盛り上げてきた名コンビの卒業は大会前から大きく報じられ、視聴者からも惜しむ声が相次ぎました。
2023年ブダペスト大会からはTBSアナウンサーの石井大裕さんと江藤愛さんが新たに総合司会を担当し、さらに高橋尚子さんがスペシャルキャスターとして番組を支える新体制へ移行しています(※織田さんは2025年東京大会のスペシャルアンバサダーに就任し、再び大会に関わることが決定しています)。
長年親しまれた織田・中井コンビに代わる新章の幕開けに、ファンからは「織田裕二のいない世陸は寂しい」との声も聞かれますが、同時に「新しい布陣でどんな演出になるか楽しみ」と期待する声も上がっています。
世界陸上の主題歌の歴史と「All My Treasures」の軌跡
TBS世界陸上中継でもう一つ欠かせない要素が、毎大会を彩る主題歌です。実は1997年のTBS参入以降、織田裕二さん自身の楽曲が一貫してテーマソングに起用されてきたことをご存知でしょうか。織田さんは歌手としても活動しており、1997年アテネ大会では「FLY HIGH」(アーティスト名義は「UZ」)が主題歌となりました。
以降も1999年セビリア大会「Together」、2001年エドモントン大会「今、ここに君はいる」、2003年サン=ドニ大会「今、ここに君はいる in Paris」と、4大会連続で織田さんの曲がテーマに採用されています。これら初期の楽曲はいずれも大会の興奮と感動を表現したアップテンポのナンバーで、織田さんの力強いボーカルが印象的でした。
そして2005年ヘルシンキ大会以降、世界陸上のテーマソングとして定番化したのが織田裕二さんの名曲「All my treasures(オール・マイ・トレジャーズ)」です。この曲は2007年の大阪大会開催を前にリリースされたシングルで、織田さん自ら作詞にも関わった思い入れの深い一曲です。2005年大会から織田さんは「All my treasures」を番組内で披露し始め、以降2019年ドーハ大会まで実に8大会連続でテーマソング(2009年のみ「イメージソング」扱い)として流れ続けました。
爽やかで壮大なメロディと「一秒先の未来ですら本当はわからない」という前向きな歌詞は、大会の感動シーンやハイライトに重ね合わせて視聴者の胸を熱くしました。世界陸上=織田裕二=「All My Treasures」という図式が確立されたことで、毎回大会が近づくとこの曲を聴いて気持ちを高めるファンも多かったようです。
なお2022年オレゴン大会も「All my treasures」が起用され、織田さん自身にとって最後の世界陸上出演をこの曲で飾りました。そして織田さん降板後初の2023年ブダペスト大会では、ついに主題歌も変更となり、星野源さんが書き下ろした新曲「生命体」がテーマソングに採用されています。25年間にわたり織田裕二さんの楽曲一色で紡がれてきた世界陸上の音楽もここで世代交代を迎えた形ですが、多くのファンにとって「All My Treasures」は今なお世界陸上の象徴的な anthem(アンセム)として心に刻まれています。
実際、陸上選手でもあるタレントの武井壮さんは織田さん降板に際し「世界陸上は織田裕二さんのあの空気なんだよなあ。そしてオールマイトレジャーなんだよなあ」とツイートしており、主題歌を含め織田さんが作り上げた世界観が人々に愛されていたことが窺えます。
参考記事:「織田裕二『All My Treasures』誕生秘話 – 世界陸上テーマ曲の制作背景と魅力」
番組構成・演出の特徴:スタジオから伝える熱狂
TBSの世界陸上中継は、他局のスポーツ中継とは一線を画す独自の番組構成と演出で知られています。まず、スタジオセットや会場演出に工夫が凝らされています。織田裕二さんと中井美穂さんは当初は東京のTBSスタジオから中継を進行していましたが、2007年の大阪大会以降は現地競技場のスタンド内に特設スタジオを設置し、会場の熱気を直接伝えるスタイルに切り替えました。
大会会場のスタンドを背景に、織田さんが熱く拳を握り締め、中井さんが笑顔で頷く姿は毎大会の名物となりました。大会公式映像やハイライトVTRが流れる際には、大型ビジョンや照明演出を駆使したドラマチックな演出がなされ、視聴者のボルテージを高めました。スタジオ演出には毎回テーマカラーやモチーフが設定され、2007年大阪大会では太鼓や和の要素を取り入れた演出、2013年モスクワ大会ではロシア民話風のCGなど、その開催地にちなんだ工夫も見られました。
TBSは2007年大阪大会でホストブロードキャスターも務め、国際映像の制作を担いましたが、特にマラソン中継の映像演出が海外から高く評価されるなど、その放送クオリティも折り紙付きです。
実況・解説スタイルにもTBS流のカラーがあります。実況アナウンサーは競技の進行を正確かつ情熱的に伝え、記録が出た瞬間や日本人選手が活躍した場面では声を張り上げて盛り上げます。解説者は専門知識を披露するだけでなく、選手のバックグラウンドや人間味にも触れるコメントを挟み、ストーリー性を持たせるのが特徴です。
織田裕二さんもメインキャスターとして随時コメントを差し込み、日本人選手に対しては「○○!頑張れ!」と生中継中に呼びかけたり、世界記録級のパフォーマンスには「なんだこれは…!」と驚嘆したりと、視聴者目線に立ったリアクションを見せます。こうした織田さんのリアクションは、専門家の解説とはまた違った臨場感を生み、「織田裕二が驚くほど凄い記録なんだ」と視聴者に直感的に伝える役割を果たしてきました。
一方で、TBS中継の演出上の賛否両論となった点もあります。その代表例が「選手キャッチフレーズ演出」です。世界陸上の中継では、各国の注目選手や日本代表選手に独自のキャッチコピーを付けて紹介する演出が恒例でした。しかし、そのフレーズが選手の実像とかけ離れていたり、時には失礼とも取れる表現が含まれていたため、一部では批判の的になりました。
過去には日本代表選手からも「あの異名は正直プレッシャー」「変な二つ名を付けないでほしい」と苦言が呈されたことが報じられています(例:走幅跳の選手に「エアレボリューション○○」といった大げさな呼称を付与など)。
もっとも、この演出自体は世界陸上に限らず以前からスポーツ番組で見られた手法ですが、TBS世界陸上ではその振り切ったネーミングゆえに賛否が目立ったと言えるでしょう。織田さん自身がキャッチフレーズを考案している訳ではありませんでしたが、番組の顔としてその批判を一身に受けた面もありました。現在では演出もアップデートされ、過度なキャッチコピーは控えめになりつつありますが、TBSの世界陸上中継がエンタメ性を重視してきた一つの象徴として語り草になっています。
選手インタビューの演出にもTBSならではの温かみがあります。日本人選手が競技直後にインタビューゾーンへ現れると、TBSのリポーターは「お疲れ様でした!」「今のお気持ちは?」と丁寧に声をかけます。ときには織田裕二さんが中継席から「○○選手、最高でした!」と呼びかけ、選手が笑顔を見せる場面もありました。
織田さんは大会前から合宿地や練習場を訪れて選手と交流を深め、「陰での努力も知っているからこそ、結果が出たら全力で称えたい」と語っています。
実際、織田さんは取材中に選手の練習を一生懸命見つめてメモを取る姿が陸上関係者に目撃されており、その真摯な姿勢が「彼は本当に陸上愛がある」と関係者の評価を変えていったといいます。こうしたバックストーリーを踏まえたインタビューは視聴者の胸にも響き、選手が織田さんの呼びかけに涙ぐむシーンなども生まれました。TBSの世界陸上中継は、競技結果の伝達に留まらず、人間ドラマとしての陸上競技の魅力を伝えることに力を注いできたのです。
SNS時代の反応と近年の評価・影響
2010年代以降、TwitterなどSNSが普及する中で、TBS世界陸上中継はネット上でも大きな盛り上がりを見せるイベントとなりました。大会期間中は毎晩のように「#世界陸上」「#織田裕二」といったハッシュタグが飛び交い、織田裕二さんの熱すぎる言動の数々がリアルタイムで話題に上ります。
かつて批判的だった声も、近年では「織田裕二が騒がない世界陸上なんて考えられない」「織田さんの実況が聞きたくて世陸を見てしまう」といった愛あるコメントに様変わりしました。長年の視聴者にとって織田さんの絶叫や名言は「夏の風物詩」であり、「今年もこの季節が来た!」と嬉々として受け止められていたのです。
特に織田さんが2007年に発した「地球に生まれてよかったー!」はネットミーム化し、世界陸上の象徴的フレーズとして独り歩きするほどになりました。SNS上では大会の名場面になるたびに「#地球に生まれてよかった」がトレンド入りし、織田さんのモノマネ動画やコラージュ画像が大量に投稿されます。
織田さん本人もこうした反響は把握しており、「恥ずかしいけど嬉しい。みんなが陸上を楽しんでくれている証拠」と笑っていたと伝えられています。お笑い芸人によるパロディ(前述の山本高広さんのネタなど)もバズり、世界陸上=お祭りというイメージを定着させる一助となりました。
2022年オレゴン大会で織田・中井コンビが勇退を発表した際には、SNS上でファンから惜別と感謝の声が殺到しました。男子100m日本代表のサニブラウン・ハキーム選手も大会後に自身のTwitterで「織田さん、中井さんいる世界陸上終わってしまった…寂しくなるなー」と投稿し、長年大会を盛り上げてきた二人に賛辞を送りました。また武井壮さんは前述の通り「織田裕二さんの締めくくりが見たかった」「世界陸上は織田裕二さんの空気」とツイートし、ファンの心情を代弁しました。
織田さんが最終出演となったオレゴン大会の総集編エンディングで再び「地球に生まれてよかった!」と叫ぶと、SNSには「涙が出た」「25年間お疲れ様」「あなたのおかげで陸上が好きになりました」といった投稿が溢れ、その瞬間の動画クリップは何度も再生され共有されました。まさに国民的行事として、多くの人に愛された番組であったことが窺えます。
世界陸上とTBS、そして織田裕二さんがもたらした影響は、純粋な競技ファンの枠を超えて広がっています。織田さんの情熱的なキャスターぶりは「陸上競技はこんなに面白い!」ということをお茶の間に浸透させ、陸上に詳しくなかった層も引き付けました。実際、織田さんがキャスターに就任する前と後で、日本における世界陸上の注目度・視聴率は大きく向上したと言われます。
TBSの演出する“熱狂の祭典”としての世界陸上は、オリンピックとはまた違う魅力を放ち、若い世代にも「将来は世界陸上に出たい!」と思わせるような夢を与えてきました。織田さん自身、「世界陸上は単なるスポーツじゃない。人々を興奮させ、驚かせ、感動させるものだ」と語っています。その言葉通り、日本中が寝不足になりながら熱戦と感動に酔いしれる夏の風物詩を創り上げた功績は計り知れません。
最後に、TBSと世界陸上の歩みを総括すると、それは「情熱と感動の歴史」でした。1990年代から2020年代に至るまで、織田裕二さんを筆頭に熱い思いを持ったキャスター・スタッフ陣がこの大会を盛り上げ、日本の視聴者に数々の名場面を届けてきました。今後、織田さん不在の新体制で迎える世界陸上がどのような進化を遂げるのか注目が集まりますが、彼が遺した「熱さ」と「楽しさ」のDNAは受け継がれていくことでしょう。
そして2025年、東京の地で開催される世界陸上では、再び織田裕二さんがスペシャルアンバサダーとして帰ってきます。新旧のエッセンスが融合し、更なる興奮と感動が生まれるに違いありません。世界陸上とTBS、そして織田裕二さんが紡ぐ物語は、これからも日本のスポーツエンターテインメント史に刻まれ続けていくことでしょう。