
2025年7月25日、全国高校総体(インターハイ)の男子100m決勝で、石川県出身・星稜高校2年の清水空跳(しみず そらと)選手が10秒00(+1.7m)という驚異的な記録をマークし、高校生ながら優勝しました。
このタイムは2013年に桐生祥秀選手(洛南高)が樹立した従来の高校記録(10秒01)を0秒01更新する高校新記録であり、18歳未満の世界最高記録(U18世界最高)も塗り替える快挙でした。まさに日本短距離界に新風を吹き込む「超特大高校新記録」であり、日本歴代5位タイとなる快記録でもあります。
清水選手の10秒00は、奇しくも今年9月に東京で開催される世界陸上2025(WAC=World Athletics Championships)男子100mの参加標準記録(エントリースタンダード)をちょうどクリアするタイムでした。この衝撃的な走りによって、16歳(早生まれ)の高校生である清水選手が一躍、日本代表候補に名乗りを上げたことになります。
桐生選手が高校生で10秒01を出して日本短距離界が大きく動いた12年前の再来とも言える出来事であり、今回の高校生スプリンターの快走にシニア勢(社会人・大学生スプリンター)も黙ってはいられないでしょう。では、この清水選手の台頭によって、世界陸上男子100mの日本代表選考レースは今後どのように変化していくのか、詳しく見ていきます。
世界陸上日本代表選考の基準と現状
まず、日本陸上競技連盟(JAAF)が定める世界陸上代表選考基準を整理します。
各種目の日本代表は最大3名までで、(1)大会参加標準記録(エントリースタンダード)を突破した選手、もしくは(2)世界ランキングで大会のターゲットナンバー(出場枠)以内に入った選手が選考対象になります。男子100mの参加標準記録は10秒00で、世界全体の出場枠は48名です。日本からはこの条件を満たした上位3名が代表に選ばれる可能性があります。
日本代表の内定条件(早期内定)はさらに厳しく設定されており、「日本選手権(代表選考会)終了時までに参加標準記録を突破し、日本選手権で3位以内に入った選手」がいればその場で代表内定となります。
しかし2025年の男子100mでは、この内定条件を満たした選手は一人もおらず、現時点で日本代表内定者はゼロです。実際、2025年7月4~6日に行われた第109回日本選手権100mでは優勝タイムが10秒23(桐生祥秀選手)にとどまり、標準記録10秒00を突破した選手は出ませんでした。
したがって男子100mの代表枠3つは、日本選手権後~8月24日までの間に標準記録突破者および世界ランキング上位者から決定されることになります。JAAFは日本選手権終了時点でまず内定者なしと発表し、その後8月27日にWorld Athletics(世界陸連)から各種目の出場資格者リストが公表された後、9月1日以降に日本代表選手の最終発表を行う段取りです。つまり、日本選手権後も8月末までは記録やランキングの状況次第で代表争いが続くわけです。
代表選考の優先順位にも注意が必要です。
選考基準では、まず日本選手権で入賞(8位以内)した選手が有利となります。具体的には、
- 「日本選手権8位以内かつ標準記録突破者」
- 「日本選手権8位以内かつ世界ランキングで出場資格を得た者」
が優先され、その次に
- 「日本選手権入賞外だが標準記録突破者」
- 「入賞外でランキング出場資格を得た者」
の順で選考される規定です。
簡単に言えば、日本選手権で好成績を収めた選手は多少記録が基準に届かなくても優先的に考慮され、逆に日本選手権に出ていない(または入賞していない)選手は記録やランキングで大きく上回っていないと選考で不利になるということです。
この原則も頭に入れつつ、現在の代表有力候補の状況を見てみましょう。
男子100m代表候補の記録比較と有力選手たち
現時点(2025年7月下旬)での日本人男子100mトップ層の記録および代表選考レースの状況は以下の通りです。
- 参加標準記録突破者 … 2名(サニブラウン・A・ハキーム、清水空跳)
- 世界ランキングによる出場資格圏内(ターゲット48位以内)… 上記2名に加え、桐生祥秀がランクイン見込み。他に栁田大輝らが圏内争い中
- 日本選手権入賞者の状況 … 優勝: 桐生祥秀(標準未突破、ランク圏内見込み)、2位: 大上直起(標準未突破、ランク圏外)、3位: 関口裕太(標準未突破)など。サニブラウンは予選途中棄権、栁田大輝はフライング失格でともに入賞ならず。清水空跳は高校生のため日本選手権で惜しくも準決勝敗退。
上記の日本選手権の記事を作成した時には、まさかこの短期間で世界陸上男子100mの参加標準記録は10秒00まで到達するとはさすがに想像できませんでしたが、伸び盛りの16歳の快進撃は想像をはるかに超えていました!
代表候補となる主な選手の2025年自己ベスト(SB)や実績を表にまとめると次のようになります。
選手名 | 今季最高タイム(2025年) | 参加標準突破 | 備考・主な実績 |
---|---|---|---|
サニブラウン・A・ハキーム | 9秒96(+0.5) ※2024年パリ五輪 | 〇 | 世界陸上2017・2019代表。日本歴代2位タイ(9秒96)。2024年パリ五輪で9秒96 |
桐生 祥秀(日本生命) | 10秒23(日本選手権) | ×(未突破) | 日本選手権2025優勝。日本記録保持者(9秒98)。 海外試合で10秒0台を連発しランク圏内見込み |
清水 空跳(星稜高2年) | 10秒00(+1.7) | 〇 | インターハイ優勝、高校日本新記録。世界U18最高記録更新 |
栁田 大輝(東洋大4年) | 10秒06(+1.1) | ×(未突破) | 2025年ユニバーシアード銅メダル。GGP東京優勝(10.06)。 日本選手権はFS失格も世界ランク次点で圏内争い |
小池 祐貴(住友電工) | 10秒09(+1.1) | ×(未突破) | PB9秒98の実力者。2019年ドーハ世界陸上代表(準決勝進出)。 今季は故障明けで日本選手権は決勝進出ならず。 |
*この他、日本選手権2位の大上直起(10秒28)や3位関口裕太(10秒28)などもいますが、現状では世界大会参加標準に遠く代表入りは難しい状況です。また、日本記録保持者の山縣亮太(9秒95)は今季10秒12がベストにとどまり調整途上です。
上記の表からも明らかなように、サニブラウン選手は唯一の9秒台ランナーであり(自己ベスト9秒96)、世界陸上の参加標準も満たしていて代表入りが最有力です。
一方、桐生選手は今季こそ10秒0台前半止まりですが、日本選手権を制した実績と経験に加え、海外レースでポイントを稼いでおり世界ランキングでの出場資格獲得が有力視されています。
そして今回台頭した清水選手が高校生ながら10秒00をマークし、一気に参加標準突破組に食い込んできました。栁田選手や小池選手といった他の有力スプリンター達は、標準には届いていないものの10秒0台前半の記録を持ち、今後のレース次第では世界ランキング経由で代表争いに絡む可能性があります。
清水選手の代表入りの可能性と課題
では、清水空跳選手が今年9月の世界陸上100m日本代表に選出される可能性はどれほど現実的なのでしょうか。
結論から言えば、「可能性は十分あるが、決して確約された状況ではない」と言えます。その理由を、選考基準と他選手との兼ね合いから考察します。
まず清水選手は前述の通り参加標準記録を突破していますので、代表選考の土俵に立つ最低条件は満たしています。他の有力候補を見ると、標準を破っているのはサニブラウン選手のみで、清水選手は現状この2番手に位置します。
したがって、8月24日までに他の誰も標準突破者が増えなければ、清水選手はサニブラウン選手に次ぐ2人目の代表候補として素直に選ばれる可能性が高いでしょう。実際、現状では「サニブラウン、清水、桐生」が出場資格を得て代表入りに近づくと予想されています。桐生選手は標準未達ですが日本選手権優勝者であり、世界ランキングでも枠内に入る見通しのため、この3名が順当に有資格者となるシナリオです。
しかし、清水選手の代表入りには3つの大きなハードルがあります。
① 日本選手権入賞者優先の原則
清水選手は日本選手権で準決勝で敗退したことから「日本選手権8位以内」という肩書きを持ちません。
前述した選考優先順位では、清水選手のように「入賞していないが標準突破した選手」はカテゴリ7に位置し、「入賞して世界ランキングで資格を得た選手」(カテゴリ6)よりも後回しになる可能性があります。
具体的には、桐生選手がまさに「日本選手権優勝+ランキングで資格取得」のパターンに当てはまり、清水選手より優先される立場です。
また例えば、日本選手権2位の大上直起選手が今後奇跡的に標準を突破した場合(可能性は低いですが)も、彼は清水選手より先に選考されることになります。同様に、日本選手権で入賞経験のある小池選手などもランキングで資格を得れば清水選手より優先されるケースが考えられます。
清水選手が「日本選手権8位以内」という肩書きがない点は、選考上ひとつ不利な材料と言えます。もっとも、日本選手権入賞者で清水選手より記録面で上回る選手はいないため、最終的には記録の価値が評価される可能性も高いでしょう。
② 他の有力選手の動向:
最大のライバルは、東洋大学4年の栁田大輝選手です。
栁田選手は今季10秒06まで記録を伸ばしており、世界ランキングでも清水選手に次ぐ「次点」の位置につけています。栁田選手は日本選手権ではフライング失格となりましたが、7月のユニバーシアードで3位に入るなど好調で、「あと0秒06」の標準記録突破も現実味があります。
JAAFの選考要項では、日本選手権入賞者以外の場合「標準突破者が複数いる場合はワールドランキング上位者を優先」と規定されています。したがって、仮に栁田選手が8月24日までに10秒00を切って標準を突破した場合、清水選手と栁田選手はいずれも「入賞外・標準突破組」同士の争いとなり、その際は世界ランキングの順位が高い方(=より安定して好成績を収めている方)が優先的に選ばれる見込みです。
現在までのところ、栁田選手は清水選手よりも多くの公認レースに出場し、GGP優勝や海外大会参戦などでポイントを積んでいるため、ランキングでは清水選手より上に位置するとみられます。したがって、栁田選手が標準突破を達成した場合には、清水選手は代表3枠から漏れるリスクも出てくる点に注意が必要です。
逆に言えば、清水選手が代表入りを確実にするには、栁田選手など他の有力選手が標準突破に届かないか、もしくは清水選手自身がその後も記録を更新してランキングで明確に上回ることが望ましいでしょう。
③ 国際大会で戦うための準備
選考基準とは別に、清水選手が実際に世界陸上で戦う上での課題も考えておく必要があります。
年齢はまだ16歳で、高校生シーズンのピークであるインターハイに合わせて調整してきた中で、約1か月半後の世界陸上までコンディションを保つことは簡単ではありません。大学生・社会人に比べトレーニング環境や経験値の差もありますし、真夏の東京で開催される世界大会という大舞台で実力を発揮するメンタル面の負担も大きいでしょう。
過去に高校生で世界大会の短距離種目に出場した日本選手は極めて少ないですが、桐生祥秀選手が2013年モスクワ世界選手権に17歳で日本代表入り(リレー種目)した例や、サニブラウン選手が18歳で2015年北京世界選手権に出場した例があります。
桐生選手は当時リレーで6位入賞(第1走者を務めた)など一定の成果を残しましたが、個人100mでの高校生出場はさらにハードルが高く、仮に清水選手が代表となった場合も「まずは予選で世界のスプリンターたちと走り、一つでも上のラウンドを目指す」経験重視の参戦になると考えられます。
年齢制限そのものは世界選手権において16歳以上であれば問題ないため、選考上は実力さえ伴えば高校生起用も十分あり得ます。清水選手の場合、今回の記録が偶然の一度きりではなく、世界の舞台でも10秒台前半~10秒00前後を出せる見込みがあるか、JAAF強化部も慎重に見極めることでしょう。
総じて、清水選手の代表入りの可能性は決して低くありませんが、他の有力選手の動向と選考ルール次第では落選もあり得るという微妙な立ち位置にいます。ただ、日本開催の世界選手権という千載一遇の機会に、将来有望な高校生スプリンターを「将来への投資」として起用する意義は大きく、強化関係者やファンからの期待も高まっています。
清水選手自身、「今回のタイムは自分でも衝撃。前半は完璧だったけど後半は頑張りすぎた」とレースを振り返りつつ、更なる成長を見据えています。世界のトップスプリンターと競う経験を若くして積むことは、本人にとっても日本短距離界にとっても財産となるでしょう。
今後の大会予定と代表選考の行方
今後8月24日までの代表選考期間、男子100mの有力選手たちは最後のアピールに挑むことになります。国内では主要な選考会である日本選手権が終了したため、残るは各選手が個別に記録会や海外レースに出場して記録向上・ポイント獲得を狙う段階です。
例えば桐生選手は日本選手権後に欧州遠征を行い、10秒0台を連発してランキングポイントを上積みしたと報じられています。栁田選手も今後、8月上旬までに海外の競技会に出場し10秒00の壁突破に再挑戦する可能性があります。
小池選手や山縣選手ら実績組も、コンディションが整えば記録会で10秒台前半をマークし世界陸上出場権を狙いにくるかもしれません。まさに「8月24日まで、激しい代表争い」が続くと予想されます。
清水選手にとっては、インターハイ後しばらく休養と調整期間に充て、必要があれば8月中旬までの競技会に出走する選択肢もあります。ただし、無理をして故障しては元も子もないため、代表選出を信じてコンディション維持に努めることが最善かもしれません。世界陸上東京大会(9月13日開幕)まで約7週間という時間がありますので、高校生とはいえども強化合宿などでしっかり準備する機会はあります。
8月27日には世界陸連から各種目の出場資格者リスト(「Road to Tokyo 2025」最終版)が公表されます。日本勢では男子100mで誰がこのリストに載るかが運命の分かれ目になります。そしてJAAFはその結果を踏まえ、9月1日以降に男子100m代表を正式決定する予定です。
現時点で最も有力なのはサニブラウン選手(ほぼ確実)と桐生選手(ランキング次第ですが有力)で、残る1枠を清水選手と栁田選手が争う構図です。
栁田選手が標準突破に届かなければ清水選手が選ばれる可能性大、逆に栁田選手も10秒00を切ってきた場合は選考委員会も頭を悩ませることでしょう。なお、小池選手や山縣選手といった経験豊富なスプリンターがギリギリでランキング圏内に滑り込むケースもゼロではなく、その際は誰を代表に送るか難しい判断となります。
いずれにせよ、日本で開催される世界陸上という舞台に立てることは選手冥利に尽きる名誉です。16歳の清水選手が本当に代表入りを果たせば、日本代表男子短距離としては史上最年少クラスの快挙となります。
桐生祥秀選手が「日本の高校生が世界と戦える」という夢を体現してから12年、再び現れた新星がどこまで羽ばたくのか、大会本番まで目が離せません。日本陸連の河合副会長も「清水君の走りは日本陸上界にとって大きな収穫。将来が非常に楽しみ」と期待を寄せており、代表選考にも前向きな姿勢を示しています。
最終的な代表メンバーの発表を楽しみに待ちつつ、私たちファンも高校生スプリンターの挑戦を引き続き応援しましょう。世界の舞台で躍動する“高校生ランナー清水空跳(そらと)”の姿が東京のトラックに映る日を期待したいところです。