
1960~70年代:ドーピング検査の導入と初期の発覚
スポーツ界でドーピング問題が認識され始めたのは1960年代後半でした。IOC(国際オリンピック委員会)は禁止薬物リストを策定し、1968年のグルノーブル冬季五輪・メキシコ五輪から競技会でのドーピング検査を開始。
陸上競技でも1970年代に検査体制が整い始め、1977年には東ドイツの女子砲丸投選手イローナ・スルピアネクが競技会中の検査で陽性となり、東ドイツの国家的ドーピング計画で初めて処分者が出ました。
この時代、東欧諸国(特に東ドイツ)では国家ぐるみのドーピングが行われており、当時樹立された陸上世界記録の多くが現在も残るなど、その影響は大きいとされています。
1980年代:国家的ドーピングとベン・ジョンソン事件
1980年代の陸上界は東ドイツをはじめ国家的ドーピング全盛の“ドーピング時代”でした。
1983年に第1回世界陸上競技選手権大会(ヘルシンキ)が開催され、陸上でも真の世界一決定戦が始まりましたが、この頃は検査技術をすり抜けた禁止薬物使用も散見されました。1987年ローマ大会の男子100m決勝ではベン・ジョンソン(カナダ)が人類初の9秒8台(9.83秒)という当時の世界新記録で優勝しますが、後年になってドーピング違反が判明し記録とタイトルは抹消されました。
翌1988年ソウル五輪でもジョンソンは金メダルを獲得しましたが禁止薬物の検出で失格となり、世界記録も剥奪される大スキャンダルに発展します。この事件は陸上ファンに大きな衝撃を与え、当時コーチが「クリーンで負けるか、薬を使って勝つか」と語ったように、競技の裏でドーピングが横行していた実態を世間に知らしめました。以後、ドーピング=不正との認識が広まり、競技への信頼が大きく揺らぐことになります。
1990年代:中国「馬軍団」の台頭と検査技術の進歩
1990年代も陸上におけるドーピング問題は続きました。
1993年の第4回世界陸上シュツットガルト大会では、それまで無名だった中国人女性中長距離選手団(馬俊仁コーチ率いるいわゆる「馬軍団」)が突如圧倒的な記録で優勝を独占し、世界を驚かせました。特に王軍霞(ワン・ジュンシア)は女子3000mで世界新記録を樹立し、その記録は23年経っても破られないほど突出していました。
しかしこの異例の活躍には当初からドーピング疑惑が付きまとい、実際に後年になって馬軍団の元選手たちが「違法薬物を何年も服用させられていたのは事実だ」と記した1995年の手紙が公開され、組織的ドーピングが行われていたことが明らかになりました。それでも当時の検査では摘発されなかったため、馬軍団による世界記録や五輪メダルは公式にはいまだ抹消されていません。
一方、欧米でも検査手法が徐々に進歩し、東京世界陸上1991では男子砲丸投げ銀メダリストの失格、シュツットガルト世界陸上1993でもメダリストから複数の陽性反応が出るなど摘発例が増加しました。また1999年には世界アンチ・ドーピング機関(WADA)が設立され、競技横断で統一的なルールと検査体制を築く取り組みが始まります。
2000年代:WADAコード施行、BALCO事件と記録剥奪
2000年代に入り、ドーピングとの戦いは新たな局面を迎えます。
まずWADAの世界アンチ・ドーピング規定(コード)が2004年アテネ五輪から本格適用され、罰則強化や抜き打ち検査の拡充など運用面が飛躍的に整備されました。禁止薬物検出技術も進歩し、シドニー五輪が開催された2000年には長年検出が困難だったエリスロポエチン(EPO)の検査法がようやく確立され、持久系種目で横行していた血液ドーピングへの対処が可能となりました。
一方で、この時期には「見えない薬」とも呼ばれた新型ステロイド(THGなど)を巡る大規模な不正――BALCO事件が発覚します。米国の栄養研究所BALCOが陸上選手らに提供していた未検出の新薬により、多くのトップアスリートが世界記録を樹立し金メダルを獲得していました。
女子短距離のスターだったマリオン・ジョーンズは2000年シドニー五輪で圧倒的な成績(メダル5個)を残しましたが、後にステロイド使用を認めて五輪メダルおよび世界陸上での記録も剥奪されています。
男子短距離でも元世界記録保持者のティム・モンゴメリーがBALCOの計画で薬物投与により100m世界記録(9秒78)を樹立しましたが、その後ドーピング違反で記録は抹消されました。また2003年パリ世界陸上では女子短距離二冠のケリ・ホワイトが大会中の検査で興奮剤モダフィニル陽性となり金メダルを剥奪されるなど、世界陸上における初の大物ドーピング失格例が生じました。
2007年にはBALCO事件の捜査の中でマリオン・ジョーンズが偽証罪で有罪となり収監される結末も迎え、かつてのヒロインの失墜はクリーンなスポーツを願うファンに大きな失望を与えました。
2010年代:ロシアの組織的不正発覚と大規模制裁
2010年代はロシアを舞台に陸上界最大級のドーピングスキャンダルが明るみに出た時代です。
きっかけは2015年、WADAの独立委員会がロシア陸上競技連盟ぐるみでの組織的なドーピングを証言や証拠に基づき暴露したことでした。ロシアのコーチや選手が国家主導で薬物を常用し、さらに本来は監視側であるロシア反ドーピング機関までもが検体1400個以上を廃棄する隠蔽工作に加担していた事実が発表されたのです。
この報告を受け、国際陸連(現ワールドアスレティックス)はただちにロシア陸連を資格停止処分とし、2016年リオ五輪を含む国際大会からロシア陸上選手団を締め出しました。以降、ロシアの陸上選手はクリーンであることが証明されたごく一部のみが中立資格で大会出場を許される異例の事態となります。
2017年ロンドン世界陸上ではロシア選手団不在のまま開催され、長年メダル量産国だったロシアがゼロという事態になりました。ロシア当局はWADAと協議し改善に努める姿勢を見せましたが、2019年には今度はドーピング検体データ改ざんが発覚し、WADAはロシアに対し主要大会から4年間の締め出し(東京五輪・北京五輪でも個人資格以外不可)という厳罰を科しています。
他方、この時期は生体パスポート(ABP)制度の導入など検査体制も高度化しました。2009年にIOCと国際陸連が導入に合意した血液パスポート制度によって、競技会外検査で選手の血液数値の長期推移を管理し、薬物使用の兆候を科学的に突き止めることが可能となりました。実際、ABPに基づく再検査によって2015年にはスペインのマルタ・ドミンゲス(2009年世界陸上女子3000m障害金メダリスト)の過去の異常値が摘発され、彼女はタイトル剥奪と3年間の資格停止処分を受けています。
ロシア以外にも2013年には米国の元世界王者タイソン・ゲイ、ジャマイカの元記録保持者アサファ・パウエルら世界トップスプリンターのドーピング違反が一斉に判明する事件もあり、依然としてグローバルな課題であることが浮き彫りになりました。とはいえ2011年大邱世界陸上では50名もの失格者(メダル剥奪10件)が出ていたのに対し、ロシア不在の2017年以降は大会中の陽性例が激減しており、競技環境の浄化は徐々に進みつつあります。
2020年代:クリーンな競技へ、新体制と継続する戦い
2020年代の陸上界は、過去の教訓を踏まえてクリーンな競技を守る新体制づくりが進んでいます。
2017年には国際陸連がアスレティックス・インテグリティユニット(AIU)を設立し、ドーピング検査・制裁を含む不正監視を独立組織に委ねる改革を実施しました。AIUは違反者への厳格な処分でも知られ、2021年の東京五輪前にはナイジェリアの女子スプリンター、ブレッシング・オカグバレが成長ホルモンやEPO使用で摘発され、捜査への非協力もあって異例の10年間資格停止という重い処分が科されています。
また2022年には北京冬季五輪でロシアの15歳フィギュア選手ワリエワのドーピング疑惑が再燃し、ロシアの組織的問題が解決していない現実も露呈しました。一方で世界陸連は2023年、ロシア陸連の資格停止を条件付きで解除する決定を下し(他競技の制裁は継続)、過去7年間にわたるペナルティに区切りをつけています。
今後はドーピング検体の長期保存期間が10年に延長されるなど「タイムマシン検査」による遡及的な不正摘発も引き続き行われる見込みです。度重なるドーピング失格や記録抹消に直面してきた世界陸上も、近年は大きな不正スキャンダルが減りつつあり、ファンの信頼回復に向けた機運が高まっています。
もっとも薬物開発と検出のいたちごっこは依然続いており、真にクリーンな競技を守るための戦いは今後も終わりが見えません。各国のアンチドーピング機関やWADA、そしてAIUの厳正な監視の下、「世界陸上」はクリーンな舞台であることを証明し続けることが求められています。