
東京世界陸上の代表選考を兼ねた注目の全国大会
2025年7月上旬に東京・国立競技場で開催される日本陸上競技選手権(第109回)は、同年9月に控える世界陸上競技選手権(東京2025世界陸上)の日本代表選考会も兼ねています。
世界陸上の各種目には各国3名まで出場可能で、日本代表の座を懸けた熾烈な戦いが繰り広げられます。代表選考の基本条件は ①世界陸連の参加標準記録を突破するか ②世界ランキングで定められた出場枠内(各種目約40名)に入ることです。
男子110mハードルの場合、世界陸上参加標準記録は13秒27と設定されており、この記録をクリアするか世界ランキング上位40位以内に入れば世界大会への切符が見えてきます。
今年の日本選手権男子110mハードルは、まさにその世界陸上代表選考の最終局面です。実は、日本記録保持者の村竹ラシッド(JAL)は昨年のパリ五輪で5位入賞した実績があり、今年4月の海外レースで13秒14をマークして標準記録を突破したため、すでに日本陸連の基準により世界選手権代表内定を獲得しています。村竹は秋の世界陸上でのメダル獲得を目標に掲げ、日本選手権には出場しない道を選びました。
したがって、日本選手権では残る2枠の代表切符を巡っての争いとなります。
参加標準13秒27をすでに突破している泉谷駿介・野本周成・阿部竜希の3選手が有利と見られますが、彼ら以外の選手も「2位以内」に入れば可能性があります。ただし日本陸連の選考方針では、日本選手権で上位2位に入ることが代表選考の大前提となっており、仮に3位以下の選手が後日どれほど好記録を出しても上位2名を逆転するのは極めて難しいとされています。つまり「日本選手権で2位以内に入ること」が世界陸上への切符を掴む絶対条件と言えるでしょう。
世界陸上を見据える日本トップハードラーたち
日本選手権の舞台には、世界で戦える実力を持つトップ選手が集結します。注目の有力選手たちを挙げてみましょう。
泉谷駿介(住友電工) – 日本記録保持者(13秒04)で、2023年ブダペスト世界選手権5位入賞の実績があります。日本選手権は3大会連続優勝中(2020~2023年)であり、村竹不在の今大会では真っ先に優勝候補に挙げられます。持ち味の後半の伸びを活かして4連覇と代表内定を狙います。
野本周成(愛媛競技力向上対策本部) – 日本歴代5位タイの自己記録13秒20を持つ実力者です。今年5月に13秒25(+0.1)をマークして標準記録をクリアしており、世界ランキングでも日本勢上位(6月時点18位)につけています。安定したハードル捌きで表彰台圏内を目指します。
阿部竜希(順天堂大4年) – 将来有望な大学生ハードラーです。昨年秋に13秒29の学生新記録を出すと、今季はさらに伸ばして6月に13秒25(+0.8)をマークし、一躍代表争いの中心に躍り出ました。世界標準突破済みの若手として、大舞台でベテラン勢に挑みます。
高山峻野(ゼンリン) – 31歳のベテランで、2018年大会から日本選手権3連覇の経験を持ち、かつて13秒10の日本記録(当時)を樹立したレジェンドです。オリンピック2大会・世界選手権3大会に出場してきた豊富な経験が強みで、近年は若手の台頭で記録こそやや見劣りしますが、その安定感と勝負強さで代表争いに絡んでくる可能性は十分です。
レース展開の予想と見どころ
今回の日本選手権男子110mハードルは、優勝争いと世界陸上代表争いが完全に重なる点に大きな注目が集まります。最大の焦点は、「誰が村竹ラシッドの抜けた穴を埋めて優勝するか」、そして「上位2枠を押さえて世界行きの切符を掴むのは誰か」という点です。
実績・安定感では泉谷駿介が頭一つリードしているものの、野本周成や阿部竜希も今季自己ベストタイの13秒25をマークして勢いに乗っており、勝負は僅かな差で決まる可能性があります。高山峻野もスタートの上手さに定評があり、序盤でリードを奪って波乱を起こす可能性は十分でしょう。110mハードルはわずかなリズムの乱れやバー接触で順位が大きく入れ替わる繊細な種目だけに、一瞬たりとも目が離せません。
レース展開としては、各選手の特長から序盤の加速と中盤以降の伸びがポイントになりそうです。泉谷は中盤以降の加速力に強みがあり、自己ベストに近いタイムでフィニッシュする可能性があります。野本や阿部はスタートダッシュから積極的に飛ばしてプレッシャーをかけたいところです。高山は技術と経験を活かした安定した走りでミスなく攻略を狙うでしょう。
勝負の分かれ目は8台目以降の踏ん張りとゴール前の一押し。ゴールラインを駆け抜けたとき、電光掲示板に表示されるタイムが13秒前半なのか、あるいは夢の12秒台に突入しているのかにも大きな期待がかかります。「12秒台」は日本人未踏の領域ですが、近年のレベル向上を考えれば決して夢物語ではありません(実際、泉谷と村竹が持つ13秒04は今季世界トップクラスの記録であり、条件が整えば12秒台も視野に入ります)。
また、代表選考という観点では「決勝で2位以内に入ること」が至上命題です。標準記録を突破済みの泉谷・野本・阿部の三者は、仮に3位以下に沈むと代表内定を逃す可能性が出てきます。逆に言えば、有力3選手以外が世界陸上の切符を手にするには決勝で少なくとも2位以内に入った上で、大会中もしくは大会後の期限(8月末)までに13秒27を突破するかランキング40位以内に入る必要があります。
選手たちはタイムだけでなく着順にも意識を向けながら、まさに攻めと駆け引きのレースを展開するでしょう。
日本記録の推移と世界水準との比較
日本の男子110mハードル界は、この10〜20年で著しい記録向上を遂げてきました。
2004年には谷川聡の13秒39が日本記録でしたが、その後徐々に更新され、2023年に泉谷駿介と村竹ラシッドがマークした13秒04まで短縮されました。この13秒04というタイムは、同年の世界ランキングで6位タイに相当し、日本選手権優勝時点では世界リスト2位というハイレベルなものでした。
現在、日本人選手で13秒台前半〜中盤の記録を持つ選手は10名以上おり、世界全体で見ても米国に次ぐ層の厚さを誇ります。実際、2023年の世界ランキングでは日本勢がトップ50に6人、トップ100に12人も入っており、これはジャマイカと並んで世界第2位の人数でした。
かつては「日本人にハードル短距離は不向き」とも言われましたが、今や世界の強豪国に肩を並べる存在となっています。
世界のトップレベルに目を向けると、男子110mハードルの世界記録は12秒80(2012年、アリエス・メリット)で、直近の世界大会での優勝タイムも12秒9〜13秒0台が一般的です。日本記録13秒04との差は0秒24しかなく、これはハードル10台分に換算すれば一台あたり0.024秒、文字通り「紙一重」の差です。近年、泉谷や村竹が世界大会の決勝であと一歩のところまで迫っており(2024年パリ五輪5位・2023年世界選手権5位入賞)、日本勢のメダル獲得も現実味を帯びてきました。
地元開催となる東京世界陸上では、日本ハードル界悲願の表彰台も十分狙えるでしょう。
優勝・表彰台争いの行方予想
以上を踏まえ、最後に今大会の優勝および表彰台争いを予想します。筆頭の優勝候補はやはり泉谷駿介です。過去の日本選手権でもプレッシャーのかかる場面で記録的な走りを見せており、村竹不在とはいえ慢心することなく自身の走りに徹するでしょう。
対抗馬には野本周成と阿部竜希を挙げます。両者ともシーズンベスト13秒25と好調で、特に阿部は伸び盛りの勢いが侮れません。僅差の戦いになればゴール前の執念がものをいうだけに、初タイトルに懸ける思いの強い若き阿部が2位に食い込むシナリオも十分考えられます。一方、高山峻野も経験豊富なテクニシャンとして表彰台候補の一人です。勝負勘に優れた高山がベストを尽くせば、若手を押さえて上位に入ってくる可能性はあるでしょう。
総合的に見ると、優勝は泉谷、2位争いは野本と阿部の接戦と予想します。実績面で勝る野本がわずかに有利かもしれませんが、阿部のさらなるタイム短縮にも期待したいところです。高山も含めたこれら有力選手が大崩れせず順当にフィニッシュすれば、世界陸上代表には泉谷・野本(または阿部)の2名が内定し、既に内定済みの村竹を加えた3名で東京世界陸上に挑む布陣となりそうです。
いずれにせよ、日本ハードル界の歴史に残るハイレベルな戦いになることは間違いありません。当日は新装・国立競技場で繰り広げられる国内最高峰のスプリントハードル決戦に注目し、日本代表の座を射止めるのは誰か、その瞬間を見届けましょう。世界に羽ばたくハードラー誕生のドラマに期待が高まります。