【男子100m】東京世界陸上2025徹底ガイド

【男子100m】東京世界陸上2025徹底ガイド

東京で開催される世界陸上2025の男子100mは、陸上競技ファンはもちろん初心者でも楽しめる花形イベントです。「人類最速の男」を決める100m走は、一瞬たりとも目が離せないスリリングな種目。

本記事では、そのルールや競技の流れから世界記録の歴史、さらに東京2025大会の最新情報見どころまで、やさしくカジュアルな口調で解説します。初心者にもわかりやすいよう専門用語も丁寧に説明し、過去の感動エピソードや観戦のコツ、よくある疑問(FAQ)にも答えます。それでは男子100mの魅力を一緒に見ていきましょう!

種目のルールや競技の流れ

基本ルール:

男子100mは、直線トラック100メートルをいかに早く走り切るかを競う短距離走です。選手は8つのレーンに分かれ、全員がスターティングブロック(スタブロ)を使用します。スタートの合図はピストルの号砲で、合図前に動いたり、合図から0.1秒以内に反応して動いてしまうと「フライング(不正スタート)」と見なされます。

現在のルールでは短距離走の場合、フライングが発生した選手は即失格となり、再スタートは認められません。これは、人間の反射速度の生理的な限界から「音を聞いて0.1秒未満で動いたら聞く前に動いた証拠」として判定するためです。したがって選手たちは号砲の音に集中しつつも、焦って飛び出さないよう静止を保つ高度な集中力が求められます。

スタートからゴールまで

スタートの合図とともに選手たちはブロックを強く蹴って飛び出します。加速局面では前傾姿勢から徐々に上体を起こし、約30~50m付近で最高速度に達します。

人類トップスプリンターの速度は時速約40kmにもなり、100mを9~10秒で駆け抜けます。レーン侵害(自分のコースライン外にはみ出すこと)や他選手への妨害は失格対象ですが、100mでは各選手が一直線に走るため接触は稀です。

ゴールは胸(胴体)をフィニッシュラインに通過させた瞬間で判定されます。着順は写真判定で微差まで確認され、僅差のレースでは1/1000秒単位までの計測で順位が決まります。電光掲示板には1着から順にタイムと着順が表示され、「Wind:+1.2」などと風速(追い風の場合プラス、向かい風はマイナス)が併記されます。

追い風2.0m/sを超えると記録は公認されません(参考記録扱い)ので、世界記録が出ても強すぎる追い風では正式には認められない点にも注目しましょう。

競技会での進行

オリンピックや世界陸上など国際大会の男子100mは、出場選手が多数のため予選から決勝まで複数ラウンドで行われます。

典型的には以下のような流れです。

  • 予備予選(Preliminary): 記録が参加標準に満たない一部選手向けの予備ラウンド。世界陸上では通例、出場枠確保のために大会初日に実施されます。ここで一定の上位者が「予選」に進出します。
  • 予選ヒート(Heats): 出場全選手が数組に分かれて走る一次予選です。各組の上位着順者およびタイム上位者が準決勝へ進みます(大会やエントリー数によりますが、おおむね各組上位3位+その他上位タイムなどで計24人程度が準決勝へ)。
  • 準決勝(Semifinals): 準決勝は通常3組(各組8人)で行われ、各組の上位2人+タイム上位2人の計8人が決勝へと駒を進めます。一日の中で予選と準決勝が行われることもあり、選手は短時間で体力と集中力を回復する必要があります。
  • 決勝(Final): 各大会で最後に行われる8人による決勝レースです。ここでメダルや優勝が決まります。決勝では準決勝の記録が最も良かった選手が中央の有利なレーン(5番や4番)を走ることが多く、記録や順位以外にも選手紹介や演出などで大いに盛り上がります。

大会によって日程は異なりますが、世界陸上では2日間かけて100mの全ラウンドを実施することが一般的です。次章では東京2025大会における具体的な日程とフォーマットを見てみましょう。

歴代世界記録・大会記録の推移

男子100mは「人類が到達し得る最速スピードの更新の歴史」そのものです。ここでは世界記録と世界陸上における大会記録の移り変わりをざっと振り返ってみましょう。

サマリー

男子100m記録の変遷:世界と日本の軌跡

100分の1秒への挑戦

男子100m走における世界記録と日本記録、その1世紀以上にわたる進化の軌跡をたどる。

記録の変遷:世界 vs 日本 (1912-2024)

下のグラフは、男子100mの世界記録(青線)と日本記録(オレンジ線)の歴史的な推移を示しています。記録が更新されるまでの停滞期間や、両者の差が縮小・拡大した時代が一目でわかります。特に、1968年の電気計時導入後の記録の急激な進歩や、ウサイン・ボルトの登場による世界記録の大幅な更新、そして2017年以降の日本人選手による「9秒台」への挑戦が顕著です。

初の公式世界記録

10.6

1912年、ドナルド・リッピンコット(米)が樹立した、IAAF(現WA)による初の公認世界記録(手動計時)。

世界初の9秒台

9.95

1968年、ジム・ハインズ(米)がメキシコ五輪で達成。人類が初めて公式(電気計時)に10秒の壁を破った歴史的瞬間。

人類最速の領域へ

9.58

2009年、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)が樹立した現在の世界記録。その驚異的な記録は今なお破られていない。

日本の9秒台スプリンター

2017年に桐生祥秀選手が日本人として初めて10秒の壁を破って以来、日本のスプリント界は新時代に突入しました。現在、4人の選手が公式に9秒台を記録しています。このグラフは、彼らの自己ベストタイムを比較したものです。

日本の「10秒の壁」

10.00

1998年、伊東浩司が樹立。この記録は19年間にわたり日本のスプリンターたちの前に立ちはだかった。

悲願の9秒台達成

9.98

2017年、桐生祥秀が達成した日本人初の9秒台。長年の夢が実現した瞬間だった。

現在の日本記録

9.95

2021年、山縣亮太が樹立。世界記録との差は依然としてあるものの、日本のスプリントレベルの向上を示している。

記録更新のタイムライン(電気計時以降)

電気計時が公式化されてからの主要な記録更新の歴史を時系列で示します。世界記録と日本記録がどのように進歩し、互いに影響を与え合ってきたかの流れを追うことができます。

WR

1968年10月14日

9.95秒 – ジム・ハインズ (USA)

世界初の電気計時9秒台を達成。

JP

1988年9月11日

10.28秒 – 青戸慎司

10秒2台に突入し、日本記録を更新。

WR

1991年8月25日

9.86秒 – カール・ルイス (USA)

東京世界陸上で驚異的な世界新記録を樹立。

JP

1998年12月13日

10.00秒 – 伊東浩司

アジア大会で「10秒の壁」に到達。この記録は19年間保持された。

WR

2009年8月16日

9.58秒 – ウサイン・ボルト (JAM)

人類の限界を再定義した、現在に至る世界記録。

JP

2017年9月9日

9.98秒 – 桐生祥秀

日本人初の9秒台。日本のスプリント史におけるブレークスルー。

JP

2021年6月6日

9.95秒 – 山縣亮太

現在の日本記録。複数の選手が9秒台で競い合う新時代を象徴。

このインフォグラフィックは、ワールドアスレティックス(WA)および日本陸上競技連盟(JAAF)の公認記録データを基に作成されています。

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世界記録の歴史

初期のマイルストーンと公式記録管理の黎明期

国際陸上競技連盟(IAAF、現ワールドアスレティックス)は、20世紀初頭に公式世界記録の公認を開始しました。最初に公認された男子100mの世界記録は、1912年7月6日にドナルド・リッピンコット(アメリカ)が樹立した10秒6でした 。これを「初代世界記録」として言及しています。

この時代は主に手動計時が用いられ、その精度は一般的に10分の1秒単位でした 。これは、1000分の1秒単位での計測が可能な現代の電気計時とは対照的です 。  

決定的な移行:手動計時から電気計時の精度へ

1960年代に入っても「h」(手動計時)が付記された記録が見られます(例:アーミン・ハリーの1960年の10秒0h)。電気計時はその優れた精度と客観性から、徐々に公式記録の標準となっていきました。ワールドアスレティックス(旧IAAF)は現在、この種目において電気計時によるパフォーマンスのみを記録として公認しています。記載されている1968年のジム・ハインズによる9秒95以降の記録は電気計時によるものです。  

計時技術のこの転換点は、記録の進歩を考察する上で根本的な不連続性を意味します。手動計時は本質的に人間の反応時間のばらつきの影響を受けやすく、精度は10分の1秒程度とされています 。一方、電気計時は100分の1秒、あるいは1000分の1秒という高い精度を提供します 。

したがって、手動計時の時代から電気計時の時代へと移行した際の記録の「向上」は、純粋な運動能力の向上だけでなく、測定精度の向上に一部起因する可能性があります。例えば、10秒2h(手動)と10秒20(電気)を直接比較しても、それは運動能力の精密な比較にはなりません。電気計時の方がより厳格な測定基準だからです。

神話の打破:歴史的な10秒の壁突破

数十年間、10秒の壁を破ることはスプリント界の「聖杯」とされてきました。

ジム・ハインズ(アメリカ)は、1968年10月14日、メキシコシティオリンピックにおいて、9秒95(高地記録、では「A」と表記)を記録し、公式にこれを達成した最初の人物となりました 。この記録はその後15年間破られることなく、その偉業の記念碑的な性質を強調しています。

10秒という節目は、単なるタイム以上の、心理的な境界線でした。人間は区切りの良い数字を重要なマイルストーンとして捉える傾向があります。スプリンターにとって、「9秒台」はエリートの地位を定義づける特性となりました。

ハインズがこの壁を破ったことは、新たなパフォーマンス基準を設定しただけでなく、人間が達成可能なことの認識を再構築しました。ハインズの記録が15年間も保持されたという事実は 、それが単なる身体的な偉業であっただけでなく、後続の世代が乗り越えるべき重要な精神的なハードルでもあったことを示唆しています。  

加速の時代:20世紀後半の記録ラッシュ

ハインズの後、新世代のスプリンターたちが記録を少しずつ縮めていきました。 カルビン・スミス(アメリカ)は1983年7月3日に9秒93を記録し 、ついにハインズの長きにわたる記録を更新しました。  

また、カール・ルイス(アメリカ)は圧倒的な存在となり、複数の世界記録を樹立しました。

  • 1987年8月30日:9秒93  
  • 1988年9月24日:9秒92  
  • 1991年8月25日、東京で開催された世界選手権での歴史的な9秒86 。はこの大会を特に注目すべきものとして強調しており、2位のリロイ・バレルも9秒88で当時の世界記録を破り、合計6人の選手が9秒台で走ったと述べています。  

リロイ・バレル(アメリカ)はルイスと記録を更新しあい、1991年6月に9秒90、その後1994年7月6日に9秒85を記録しました 。  

ドノバン・ベイリー(カナダ)は1996年7月27日に9秒84を記録しました 。  

モーリス・グリーン(アメリカ)は1999年6月16日に9秒79へと記録を短縮しました 。  

激しいライバル関係や高い競争密度が見られる時期は、しばしば記録の急速な進展と相関しています。

ルイスとバレルのライバル関係はその典型例であり、互いに高め合うことで新たな高みへと到達しました。1991年の東京世界選手権 は「競争密度」を示しており、複数のエリート選手が同じレースで最高のパフォーマンスを発揮しました。

このような環境は、選手が競争相手のプレッシャーやパフォーマンスレベルに応えることで、並外れた結果を生み出すことがあります。これは、記録が孤立した個人の輝きだけで破られるのではなく、しばしば直接的でハイステークスな競争のるつぼの中で鍛えられることを示唆しています。  

ジャマイカの台頭とボルト現象

21世紀初頭には、ジャマイカのスプリンターが頭角を現しました。 アサファ・パウエル(ジャマイカ)は、2005年6月14日の9秒77を皮切りに複数の記録を樹立し、最終的に2007年9月9日には9秒74に到達しました 。  

そして、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)が登場し、限界を再定義しました。

  • 2008年5月31日:9秒72  
  • 2008年8月16日、北京オリンピック:9秒69(風速0.0 m/s)  
  • そして現在も燦然と輝く、2009年8月16日、ベルリン世界選手権での驚異的な世界記録9秒58(風速+0.9 m/s)。  

ウサイン・ボルトの影響は単なる漸進的なものではなく、変革的であり、以前の記録を大幅に超える新たな基準点を設定しました。

ボルト以前は、記録の更新はしばしば0.01秒または0.02秒単位でした。ボルトが最初に世界記録を破った時の9秒72から、現在の9秒58までの進歩は、彼が最初に記録を破った時の世界記録から0.14秒もの大幅な短縮を意味し、彼自身の既に驚異的だった9秒69からも0.11秒の更新です。

これは、ボルトが新しい生理学的または生体力学的パラダイムを代表する異才であったか、あるいは単に一世代に一人のアスリートであったことを示唆しています。他のアスリートたちが9秒58に近づくことのその後の困難さは、彼の記録がいかに「異例」であるかを強調しています。ある意味で、それは他者が目標とする新たな「壁」を作り出したのです。

男子100m世界記録の変遷(IAAF/ワールドアスレティックス公認)

達成日記録(秒)風速(m/s)選手名国籍開催地出典
1912年7月6日10.6hドナルド・リッピンコットアメリカストックホルム  
1921年4月23日10.4hチャールズ・パドックアメリカレッドランズ  
1930年8月9日10.3hパーシー・ウィリアムズカナダトロント  
1936年6月20日10.2h+1.2ジェシー・オーエンスアメリカシカゴ  
1956年8月3日10.1h+0.7ウィリー・ウィリアムズアメリカベルリン  
1960年6月21日10.0h+0.9アーミン・ハリー西ドイツチューリッヒ  
1968年10月14日9.95+0.3ジム・ハインズアメリカメキシコシティ  
1983年7月3日9.93+1.4カルビン・スミスアメリカコロラドスプリングス  
1987年8月30日9.93+1.0カール・ルイスアメリカローマ  
1988年9月24日9.92+1.1カール・ルイスアメリカソウル  
1991年6月14日9.90+1.9リロイ・バレルアメリカニューヨーク  
1991年8月25日9.86+1.2カール・ルイスアメリカ東京  
1994年7月6日9.85+1.2リロイ・バレルアメリカローザンヌ  
1996年7月27日9.84+0.7ドノバン・ベイリーカナダアトランタ  
1999年6月16日9.79+0.1モーリス・グリーンアメリカアテネ  
2005年6月14日9.77+1.6アサファ・パウエルジャマイカアテネ  
2007年9月9日9.74+1.7アサファ・パウエルジャマイカリエティ  
2008年5月31日9.72+1.7ウサイン・ボルトジャマイカニューヨーク  
2008年8月16日9.690.0ウサイン・ボルトジャマイカ北京  
2009年8月16日9.58+0.9ウサイン・ボルトジャマイカベルリン  

大会記録の推移:

世界陸上競技選手権大会(世界陸上)の男子100mでも、各大会で優勝タイムが更新されるたびに「大会記録(チャンピオンシップ記録)」が塗り替えられてきました。

初開催の1983年ヘルシンキ大会ではカール・ルイスが10秒07で優勝し、それが最初の大会記録となりました。その後、1987年ローマ大会でルイスが9秒93で優勝し大会新記録(この時点での世界タイ記録でもあります)をマーク。1991年東京大会では前述のとおりルイスが9秒86の世界新で優勝し、大会記録も更新されました。

1990年代には記録の高速化が進み、1997年アテネ大会でモーリス・グリーンが9秒86で優勝(※大会記録タイ)、さらに1999年セビリア大会でグリーンが9秒80をマークし大会記録を短縮。この9秒80という大会記録はその後約10年破られませんでしたが、2009年ベルリン大会でウサイン・ボルト9秒58の世界新記録で優勝し、一挙に大会記録も更新されました。

ボルトの9秒58以降、2010年代の大会では誰も9秒6台すら出せていないため、世界陸上の大会記録も依然として9秒58がトップに君臨しています。

なお、世界陸上の優勝タイムは開催地の気候条件やレース状況によって毎回異なります。

例えば2003年パリ大会では10秒07と近年では異例の「10秒台優勝」となりましたが、これはレース前に雨が降った影響や全選手の状態が硬直した接戦だったことが要因と言われます。

一方で2019年ドーハ大会ではクリスチャン・コールマン(米国)が9秒76を出すなど高速決着もありました。大会記録そのものはボルトの9秒58が抜きん出ていますが、決勝レースの展開次第では思わぬタイムになることもあるのです。

日本スプリント界の躍進:男子100m日本記録の道のり

先駆的努力と初期の基準点

最初に公認された男子100mの日本記録は、1911年に樹立された12秒0(手動計時)でした 。

初期の手動計時による日本記録の詳細な変遷を示しており、1915年に11秒5、1922年に11秒0、1931年に10秒5と徐々に記録が向上し、最終的には吉岡隆徳が1935年に10秒3(手動計時)を記録しました(当時の世界記録として記載されており、彼の世界的な地位を示しています)。

の10秒3hという記録は、日本では非常に長い29年間も保持されました 。  

計時方法の変遷と「10秒の壁」との戦い

世界の舞台と同様に、日本の陸上競技も電気計時へと移行しました。によると、日本陸上競技連盟(JAAF)は1975年から電気計時を公式に認め、1993年からは電気計時のみを日本記録として公認しています。  

飯島秀雄1968年のメキシコシティオリンピックで電気計時による10秒34を記録しました 。この記録自体、約19年間破られませんでした 。その後、不破弘樹(10秒33、1987年)、青戸慎司(10秒28、1988年)といった選手たちによって、日本記録は少しずつ更新されていきました 。  

伊東浩司は極めて重要な役割を果たし、記録を段階的に向上させ、最終的には1998年12月13日、バンコクアジア大会で10秒00に到達しました 。この「10秒の壁」 は、日本のスプリンターにとって手ごわい障壁となり、伊東の記録は19年間も保持されました 。

日本の記録が10秒00で停滞していた時期に、世界記録と日本記録の差が再び約0.4秒にまで広がったと指摘しています。  

伊東浩司の10秒00という記録は、日本のスプリンターにとって、世界的な10秒の壁に相当するものであり、長年にわたる国内の挑戦を象徴していました。10秒00というタイムは、9秒台ではないものの、日本にとっては重要な成果であり、魔法の数字に tantalizingly close でした。  

ブレイクスルー:日本、9秒台クラブ入り

2017年9月9日、当時大学生だった桐生祥秀が、福井県で開催された日本学生対校選手権で、9秒98(風速+1.8 m/s)を記録し、歴史を塗り替えました 。

これは日本人選手による史上初の9秒台のタイムでした。とは、この瞬間を「日本人には9秒台は不可能」という長年の思い込みを打ち破り、日本中に興奮の波紋を広げたと描写しています。  

新時代:9秒台パフォーマンスの続出

桐生のブレイクスルーは、堰を切ったかのように、他の選手たちの活躍を促しました。

  • サニブラウン・アブデル・ハキームは、2019年6月7日、アメリカのNCAA選手権で9秒97(風速+0.8 m/s)を記録しました 。彼はそれ以前の2019年5月にも9秒99を記録していました 。  
  • 小池祐貴は、2019年7月20日、ロンドンで開催されたダイヤモンドリーグで9秒98(風速+0.5 m/s)をマークしました 。  
  • 山縣亮太は、2021年6月6日、鳥取県で開催された布勢スプリントで、現在の日本記録である9秒95(風速+2.0 m/s)を樹立しました 。これは、日本のスプリント界で長年活躍してきた山縣にとって、特筆すべき成果でした 。   は、これまでに4人の日本人スプリンターが10秒の壁を破ったと記しています。  

桐生の最初の9秒台達成は、可能性を示し、同世代のエリート日本人スプリンターたちを鼓舞する触媒として機能したと考えられます。長年にわたる壁(日本の10秒00など)は、心理的なブロックを生み出す可能性があります。一人のアスリート(桐生)がこの壁を乗り越えることに成功すると、それが達成可能であるという具体的な証拠が提供されます。

男子100m日本記録の変遷

年/達成日記録(秒)風速(m/s)選手名所属(当時)大会名
1911年11月19日12.0h三島弥彦
1935年6月9日10.3h吉岡隆徳
1968年10月14日10.34+0.3飯島秀雄茨城県庁メキシコ五輪
1987年9月23日10.33+1.8不破弘樹法大東京国際ナイター
1988年9月11日10.28+1.6青戸慎司中京大四大学対校
1990年10月22日10.27+1.0宮田英明東京農大二高国体
1991年6月2日10.20+1.1井上悟日大関東学生
1993年10月26日10.19+2.0朝原宣治同志社大国体
1996年6月9日10.14+0.9朝原宣治大阪ガス日本選手権
1997年7月2日10.08+0.8朝原宣治大阪ガスローザンヌ・グランプリ
1998年12月13日10.00+1.9伊東浩司富士通アジア大会(バンコク)
2017年9月9日9.98+1.8桐生祥秀東洋大日本学生対校選手権
2019年6月7日9.97+0.8サニブラウン・A・ハキームフロリダ大全米大学選手権
2021年6月6日9.95+2.0山縣亮太セイコー布勢スプリント

東京2025での大会スケジュール・形式

それでは、2025年東京世界陸上における男子100mの日程や競技形式の詳細を押さえておきましょう。東京大会では、日本の観衆の前で世界最速を決めるレースが繰り広げられる予定です。

男子100mは大会序盤に実施され、9月13日(土)~14日(日)の2日間で全ラウンドが行われます。具体的なスケジュール(日本時間)は以下の予定です。

  • 9月13日(土)午前予備予選:大会初日の午前中に、参加標準記録に達していない国の選手などを対象にした予備予選が組まれます。ここで勝ち上がった選手が午後の1次予選へ進出します。
  • 9月13日(土)午後予選ヒート:同日午後に男子100mの一次予選ヒートが行われます。エントリー全選手(予備予選通過者+有資格者)が数組に分かれて出走し、各組の上位着順者およびタイム上位者が準決勝へ進出します。予選通過ラインは参加人数によりますがおおむね各組上位3着+次点タイム若干名となる見込みです。
  • 9月14日(日)午後準決勝:大会2日目の午後に準決勝が行われます。準決勝は3組程度に分かれ、各組上位2名+その他タイム上位2名の計8名が夜の決勝に駒を進めます。決勝進出者8名がこの時点で決定し、しばし休息を挟んで決勝に備えることになります。
  • 9月14日(日)夜 決勝:同日夜に男子100m決勝が実施され、世界チャンピオンが決まります。女子100m決勝に続いて行われる予定で、スタンドのボルテージもピークに達する中、数分間の選手紹介セレモニーの後にスタートが切られます。9月14日夜、おそらく20時過ぎ(日本時間)には「世界最速の男」の称号を手にする選手の名前が決まることでしょう。

日本代表と世界の注目ポイント

次に、東京2025での日本代表選手と世界のトップスプリンターたちの見どころを紹介します。地元開催となる日本勢の活躍はもちろん、海外の「要注目選手」についても押さえておきましょう(※日本代表選手の詳しい紹介やプロフィールは別記事で解説します)。

日本代表の展望

東京大会の日本代表枠は開催国として有利になる部分もあり、複数の日本人スプリンターが100mに出場できるでしょう。

有力候補としては、前述の山縣亮太選手(日本記録保持者)、サニブラウン・ハキーム選手(世界選手権2017ロンドン大会で日本人初の準決勝進出、自己記録9秒97)や桐生祥秀選手(9秒98の男)、その他近年台頭している小池祐貴選手(自己記録9秒98)や多田修平選手などが挙げられます。

日本勢の目標はまず準決勝を突破して決勝に進出することです。これまでオリンピック・世界陸上の男子100mで日本人が決勝に残った例はありません。しかし地元開催のアドバンテージ(時差や気候への順応、観客の声援など)を活かし、悲願の決勝進出、さらには入賞(8位以内)を狙ってもらいたいところです。

リレー種目では世界でメダルを取っている日本だけに、個人100mでもぜひ世界と互角に渡り合う勇姿を期待しましょう。

世界のライバルたち

男子100mは世界中のスプリンターたちが「最速」の称号をかけてしのぎを削る場です。東京2025時点で予想される主な海外の注目選手を挙げます。

  • ノア・ライルズ(米国): 200mの絶対王者でありながら、100mでも2023年世界陸上ブダペスト大会で優勝(9秒83)を果たした新スターです。持ち前の後半の伸びと勝負強さで、100mと200mの2冠を狙います。ライルズ選手は「世界一速い男」の称号を正式に手にしたことで自信を深めており、東京でも本命の一人でしょう。
  • フレッド・カーリー(米国): 400m出身という異色の経歴を持ち、2022年世界陸上オレゴン大会で優勝(9秒86)した実力者です。抜群の持久力とパワーを兼ね備え、東京大会でもライルズと並ぶ優勝候補です。東京五輪では銀メダルを獲得しており、五輪の地で世界大会連覇を狙います。
  • クリスチャン・コールマン(米国): 2019年ドーハ大会世界王者(9秒76)。近年は出場停止処分明けで本調子を欠きましたが、自己ベスト9秒76を持つ実力は健在です。スタートリアクションの鋭さは世界随一で、「電光石火の飛び出し」に注目です。
  • マルセル・ジェイコブス(イタリア): 2021年東京五輪の金メダリスト(9秒80)で、一躍スターとなった欧州の雄です。その後は故障に悩まされましたが、地力は9秒台前半。東京の地で再び奇跡を起こすか注目されます。
  • アカニ・シンビネ(南アフリカ): アフリカを代表するスプリンターで、自己ベスト9秒84を誇ります。安定して9秒台を出せる選手で、大会でも決勝常連の実力者です。初の世界タイトルをアフリカにもたらす可能性に期待がかかります。
  • フェルディナンド・オムルワ(ケニア): 近年頭角を現したアフリカの新星で、自己記録9秒7台を持ちます。パワフルな加速が持ち味で、一発大舞台での爆発力があります。ケニア勢として初の短距離メダルなるか注目されます。
  • ジャマイカ勢の若手: ウサイン・ボルト引退後のジャマイカからも、徐々に新星が出てきています。とくにオブリーク・セビル(自己ベスト9秒86)ら若手スプリンターが台頭中で、東京大会ではボルト亡き後のジャマイカの意地を見せるかもしれません。

以上のように、米国勢を中心にヨーロッパ、アフリカ、カリブ勢など多彩な顔ぶれが揃います。世界記録保持者のボルトは既に引退しましたが、その牙城を崩すべく各選手がしのぎを削る構図です。「9秒台前半の争い」になることは確実で、場合によっては9秒6~9秒7台の高速決着もあり得ます。

世界陸上男子100mの過去の名場面や感動エピソード

男子100mの歴史には、記録や順位以上に語り継がれるドラマチックな名場面感動のエピソードが数多く存在します。世界陸上の舞台で繰り広げられた印象的な出来事を、いくつかピックアップしてご紹介しましょう。

東京1991 – 史上初の9秒8切り、ホームで生まれた世界新

1991年の東京世界陸上、スタンドは超満員の大歓声に包まれていました。この男子100m決勝でカール・ルイス(米国)が驚異の9秒86をマークし、世界新記録で優勝。当時33歳のルイスは、レース前に「自分が世界記録を出す」と宣言して有言実行。ホームの東京で誕生した世界新に、会場は割れんばかりの拍手と歓声に包まれました。ルイス自身にとっても初の世界陸上金メダルであり(それまで世界大会はオリンピックのみ出場)、伝説となった一夜です。東京の地での世界新という巡り合わせは、2025年大会への期待も高めてくれます。

パリ2003 – 小国の星、キム・コリンズの金メダル

2003年パリ大会で優勝したキム・コリンズ(セントクリストファー・ネーヴィス)の物語は感動的です。カリブ海の小さな島国の選手であるコリンズは、当時無名ながら10秒07で金メダルを獲得。自身初の9秒台にも届かないタイムでしたが、強豪国がひしめく中での快挙でした。スタートからトップに立ったコリンズが逃げ切ると、ゴール後に信じられないとばかりに両手で顔を覆った姿が印象的でした。小国にもチャンスがある——世界陸上の懐の深さを示すエピソードと言えるでしょう。

北京2015 – 世紀の決戦、ボルト vs ガトリンの僅差フィニッシュ

2015年の北京大会決勝は、ウサイン・ボルト(ジャマイカ)とジャスティン・ガトリン(米国)の直接対決として大きな注目を集めました。レース前まで2年間無敗のガトリンに対し、ボルトはシーズン不調と言われていた中で迎えた決戦。スタートから中盤までガトリンがリードし、ボルトが必死に追いすがります。最後の一歩でボルトが体を投げ出すと、結果は9秒79対9秒800.01秒差でボルトの勝利! ゴール瞬間の両者のフォームがシンクロし、会場全体が固唾を飲んで見守った「写真判定の末の決着」は、まさに劇的でした。勝ったボルトは歓喜のガッツポーズ、敗れたガトリンもすぐにボルトに歩み寄り健闘を称えました。観客席ではボルト勝利に安堵と喜びの声が上がり、陸上ファンの記憶に刻まれる名勝負となりました。

ロンドン2017 – 王者のラストランと敬意の抱擁

“稲妻”ウサイン・ボルトの最後の世界大会となった2017年ロンドン大会も忘れられないシーンが生まれました。引退レースとなった男子100m決勝、結果はまさかのガトリン優勝(9秒92)、ボルトは3位銅メダルでした。スタジアムは一瞬静まり、そして過去のドーピング違反歴から「悪役」とされていたガトリンにブーイングが起こります。しかし次の瞬間、敗れたボルトは真っ先にガトリンへ歩み寄りハグを交わしました。するとガトリンはその場でボルトに向かって深々と一礼し、互いに健闘を称え合ったのです。このシーンに大観衆も喝采を送り、ボルトは場内を一周して最後の「サンキューラップ」を披露。勝者ガトリンもインタビューで「ボルトにはリスペクトしかない」と語り、涙を浮かべました。偉大な王者への敬意が感じられた瞬間であり、スポーツマンシップとは何かを示す感動的な出来事でした。