
2017年8月、ロンドンは再び陸上競技界の中心地となった。5年前、世界を熱狂させた2012年ロンドンオリンピックの感動がまだ記憶に新しいロンドン・スタジアム(旧オリンピック・スタジアム)が、第16回世界陸上競技選手権大会の舞台として、世界のトップアスリートたちを迎え入れたのである 。205の国と地域から2,038人のアスリートが集結し、男子24種目、女子23種目の計47種目で世界一の座が争われたが、一つの時代の終わりと、新たな時代の始まりを告げる、歴史の転換点として運命づけられていた 。
この大会を象徴する物語は、いくつもの層を成していた。
まず、陸上界を牽引してきた二人の巨星、ウサイン・ボルトとモハメド・ファラーが、奇しくも彼らの栄光の舞台となったこのスタジアムで、トラック競技からの引退を表明していたことである 。チケット販売数は70万5000枚を超え、世界陸上史上最多記録を更新。
国別メダル獲得数(上位10カ国および日本)
順位 | 国・地域 | 金 | 銀 | 銅 | 合計 |
1 | アメリカ | 10 | 11 | 9 | 30 |
2 | ケニア | 5 | 2 | 4 | 11 |
3 | 南アフリカ | 3 | 1 | 2 | 6 |
4 | フランス | 3 | 0 | 2 | 5 |
5 | 中国 | 2 | 3 | 2 | 7 |
6 | イギリス | 2 | 3 | 1 | 6 |
7 | エチオピア | 2 | 3 | 0 | 5 |
8 | ポーランド | 2 | 2 | 4 | 8 |
9 | 中立選手 (ANA) | 1 | 5 | 0 | 6 |
10 | ドイツ | 1 | 2 | 2 | 5 |
… | |||||
28 | 日本 | 0 | 1 | 2 | 3 |
筋書きのないフィナーレ:ウサイン・ボルトのほろ苦い終幕と「ポスト真実」の100m
完璧な引退劇のために用意された舞台
2017年のロンドン世界陸上は、開幕前から一つの物語に支配されていた。それは、「史上最速の男」ウサイン・ボルトの引退である。ジャマイカのスーパースターは、この大会を最後に競技生活に終止符を打つと公言し、出場種目を男子100mと4x100mリレーに絞った 。
しかし、その舞台には、物語を複雑にする役者たちが揃っていた。一人は、アメリカの新星クリスチャン・コールマン。彼はその年のNCAA選手権で9秒82という驚異的な世界最高記録をマークし、ボルトの王座を脅かす最有力候補としてロンドンに乗り込んできた 。そしてもう一人が、ベテランのジャスティン・ガトリン。かつての世界王者でありながら、過去に2度のドーピング違反による資格停止処分を受けた経歴を持つ、物議を醸す存在だった 。この3人が織りなすドラマは、誰もが予想し得ない結末へと向かっていった。
100m決勝 – 物語が現実に敗れた瞬間
8月5日の夜、ロンドン・スタジアムの空気は期待と緊張で張り詰めていた。男子100m決勝の号砲が鳴る。ボルトは、彼のキャリアを通じての課題であったスタートでまたしても出遅れた。リアクションタイムは0.183秒と、決勝進出者の中で2番目に遅いものだった 。対照的に、隣のレーンのコールマンは0.123秒という爆発的な反応で飛び出し、レースをリードする 。
観衆の誰もが、ここからボルトの驚異的な追い上げが始まるものと信じて疑わなかった。しかし、その日は違った。レース中盤、ボルトが猛追するも、コールマンとの差はなかなか縮まらない。そして、大外の8レーンから、もう一人のスプリンターが静かに、しかし力強く加速してきた。ジャスティン・ガトリンである。フィニッシュライン直前、ガトリンはコールマンを、そしてボルトをも捉え、先頭でゴールを駆け抜けた。タイムは9秒92 。コールマンが9秒94で2位、そしてボルトは9秒95で3位に終わった 。
男子100m決勝 結果
順位 | レーン | 選手名 | 国籍 | リアクションタイム | タイム | 備考 |
1 | 8 | ジャスティン・ガトリン | アメリカ | 0.138 | 9.92 | SB |
2 | 5 | クリスチャン・コールマン | アメリカ | 0.123 | 9.94 | |
3 | 4 | ウサイン・ボルト | ジャマイカ | 0.183 | 9.95 | SB |
4 | 6 | ヨハン・ブレーク | ジャマイカ | 0.137 | 9.99 | |
5 | 3 | アカニ・シンビネ | 南アフリカ | 0.141 | 10.01 | |
6 | 7 | ジミー・ヴィコ | フランス | 0.152 | 10.08 | |
7 | 2 | リース・プレスコッド | イギリス | 0.145 | 10.17 | |
8 | 9 | 蘇炳添 | 中国 | 0.224 | 10.27 |
電光掲示板にガトリンの優勝が示された瞬間、スタジアムは祝福の歓声ではなく、地鳴りのようなブーイングに包まれた 。それは、勝者に対するものとしては異例の光景だった。
ガトリンは人差し指を口に当てて観衆を制した後、トラックにひざまずき、敗れたライバル、ボルトに深い敬意を示した。ボルトもまた、ガトリンを抱きしめ、長年のライバル関係の終わりを静かに受け入れた 。しかし、二人のアスリートの間に流れる敬意とは裏腹に、観客の感情は収まらなかった。
リレーでの悲劇
ボルトのキャリア最後のレースは、8月12日の男子4x100mリレー決勝となった。ジャマイカは、地元イギリス、そしてアメリカとメダルを争う展開で最終走者へとバトンを渡す 。アンカーのボルトがバトンを受け取った瞬間、スタジアムのボルテージは最高潮に達した。逆転の金メダルへ。
しかし、その期待は悲鳴に変わった。
バトンを受け取って30メートルほど走ったところで、ボルトは顔を歪め、左太もも裏を押さえて失速。そのままトラックに崩れ落ち、苦悶の表情で倒れ込んだ 。左ハムストリングの痙攣だった。
この衝撃的なアクシデントにより、ジャマイカは途中棄権。レースはイギリスが37秒47のヨーロッパ新記録で劇的な母国優勝を飾り、アメリカが2位、そして日本が3位に繰り上がり、歴史的な銅メダルを獲得した 。
レース後、ボルトは医療スタッフが用意した車椅子を拒み、チームメイトに肩を借りながら、足を引きずってフィニッシュラインを越えた 。完璧なアスリートの、あまりにも不完全な、そして悲痛な幕切れだった。
分析:「ポスト真実」のスポーツイベントとしてのガトリンの勝利
ロンドンで起きた出来事は、単なる番狂わせではなかった。それは、現代社会を映し出す「ポスト真実」的なスポーツイベントとして分析することができる。
まず、ガトリンへのブーイングの直接的な原因は、彼の過去2度にわたるドーピング違反であることは明白だ 。しかし、その反応の激しさは、それだけでは説明がつかない。このレースは、メディア、特に英国メディアによって、単なる速さを競う場ではなく、「クリーンな英雄ボルト」対「ドーピング歴のある悪役ガトリン」という、善悪二元論の道徳的な物語として事前に構築されていた 。観客は、このメディアが作り上げた物語の熱心な消費者であり、ボルトの有終の美という「期待された筋書き」をガトリンが「台無しにした」ことへの怒りを、ブーイングという形で表現したのである 。
この現象は、「ポスト真実」の概念と深く共鳴する。ポスト真実とは、客観的な事実よりも、個人の感情や信念に訴えかける物語の方が、世論形成に大きな影響力を持つ状況を指す 。この100m決勝において、客観的な事実は「ガトリンは規定の出場停止期間を終え、ルールに則って出場資格を得て、公正なレースで勝利した」ということである。しかし、観客にとっての「真実」は、「英雄ボルトこそが真のチャンピオンであり、ドーピング違反者はその座にふさわしくない」という、より情緒的で道徳的な物語だった。彼らはブーイングによって、レースの公式結果という「事実」を拒絶し、自らが信じる「真実」を主張したのだ。
この観客の行動は、スポーツ統括団体(IAAF)が定めたルール(違反者が更生し復帰することを認める)に対する、ファンによる一種の「道徳的裁き」と見なすことができる 。彼らは単なる観客であることをやめ、物語の結末を自らの手で書き換えようとする、道徳劇の参加者へと変貌した。
皮肉なことに、ボルト自身はレース後、ガトリンへのブーイングは「不当だ」と語り、アスリート間の敬意と、観客の物語主導の敵意との間の深い溝を浮き彫りにした 。この一連の出来事は、スポーツにおける贖罪の可能性、メディアの役割、そして一度貼られたレッテルからアスリートは真に解放されるのかという、重い問いを陸上界に突きつけたのである。
故国の地で轟いた獅子の最後の咆哮:モハメド・ファラーの物語
英雄の凱旋と10個目の世界タイトル
ウサイン・ボルトがジャマイカの、そして世界の象徴であったように、モハメド・ファラーは英国民にとっての英雄だった。特に、2012年のロンドン五輪で5000mと10000mの二冠を達成した彼の姿は、国民の記憶に深く刻まれている 。ボルトと同じく、ファラーもこの大会を最後にトラック競技から引退し、マラソンへ転向することを表明していた 。彼のトラックでの最後の勇姿を見ようと、スタジアムは熱狂的な声援で満たされていた。
大会初日の8月4日に行われた男子10000m決勝。ファラーは、自身10個目となる世界タイトル獲得を目指していた。レースは熾烈な消耗戦となった。アフリカ勢が執拗に揺さぶりをかける中、ファラーは最後の1周で他選手と2度接触し、バランスを崩すアクシデントに見舞われる 。しかし、彼は驚異的な体幹で体勢を立て直すと、代名詞であるラストスパートを炸裂させた。地鳴りのような大歓声を背に受け、ライバルたちを振り切り、26分49秒51のシーズン世界最高記録でフィニッシュラインを駆け抜けた 。勝利の瞬間、彼はトラックにひざまずき、妻と子供たちと喜びを分かち合った。それは、国民的英雄が母国のファンの前で成し遂げた、感動的な戴冠式だった 。
連勝記録の終焉 – 銀色に輝く別れ
10000mでの劇的な勝利から8日後、ファラーはトラックでの最後のレース、男子5000m決勝に臨んだ。世界大会での長距離2冠3連覇という前人未到の偉業がかかっていた。しかし、この日のレースは彼の思い通りには進まなかった。
レースはスローペースで進み、多くの選手がラスト勝負に絡む展開となった。ファラーは勝負どころで先頭に立つも、10000mの激走の疲労が残っていたのか、いつものような圧倒的なロングスパートを仕掛けることができない 。最終ストレート、エチオピアのムクタル・エドリスが完璧なタイミングでスパート。ファラーは必死に食らいつくが、わずかに及ばず、2位でフィニッシュした 。エドリスのタイムが13分32秒79、ファラーは13分33秒22 。2011年の世界陸上10000mで銀メダルを獲得して以来、続いていた世界大会での連勝記録は、ついに途絶えた。
しかし、敗れたファラーに対し、スタジアムからは温かい拍手と敬意に満ちた声援が送られた。彼は銀メダルを手に、笑顔でトラックに別れを告げた。
分析:母国でのフィナーレが持つ二面性
ファラーのロンドンでの2つのレースは、母国で競技することの二面性を見事に描き出している。
まず、10000m決勝では、観客の熱狂が物理的な力となってファラーを後押しした。レース終盤の苦しい局面で、スタジアムを揺るがす大歓声は、彼の疲弊した身体に最後のエネルギーを注ぎ込み、困難なレースを輝かしい勝利へと導いた 。これは、ホームアドバンテージが最も理想的な形で作用した例と言える。一方で、この熱狂的な環境は、完璧な「2冠での引退」という筋書きに対する巨大なプレッシャーと期待を生み出した。その結果、5000mでのわずかな敗北が、単なる銀メダル以上の重みを持つことになった。
さらに、同じスタジアムで引退を迎えたボルトとファラーの物語を比較すると、興味深い洞察が得られる。
両者ともに完璧ではない結末(ボルトは銅メダルと負傷、ファラーは銀メダル)を迎えたにもかかわらず、観客の反応は対照的だった。ファラーは勝利でも敗北でも、結果にかかわらず国民的英雄として祝福された。彼の物語は、彼自身の功績を称えるものだったからだ。
対照的に、ボルトの敗北は、ライバルであるガトリンの物議を醸す過去というフィルターを通して解釈された。ファラーの物語の主役は最後までファラー自身であったのに対し、ボルトの物語はガトリンという「悪役」の存在によって複雑化し、乗っ取られてしまった。
この違いを生んだ要因は、物語の「純粋性」にある。ファラーの物語は、「我らが英雄の最後のレース」というシンプルでポジティブなものだった。対するムクタル・エドリスには、観客が感情移入するような「悪役」としての背景はなかった 。
しかし、ボルトの物語は「英雄の最後のレース、宿敵の悪役を添えて」という、より複雑で扇情的なものだった。ガトリンの存在が、ボルトの引退劇の感情的な風景を根本的に変えてしまったのである。この比較は、アスリートのキャリアを締めくくる瞬間の物語が、決して真空状態で生まれるのではなく、ライバルの存在や、メディアと大衆が選択する物語によって共同で執筆されるという事実を鋭く示している。
昇る太陽:日本陸上界の歴史的躍進
2017年のロンドンは、日本陸上界にとって画期的な大会として記憶されることとなった。メダルの数こそ3つ(銀1、銅2)であったが、その内容は日本の陸上競技が新たなステージに到達したことを力強く証明するものだった 。
リレーでのブレークスルー – 戦略で掴んだ銅メダル
日本チームの最大のハイライトは、男子4x100mリレーで世界陸上史上初となるメダルを獲得したことである 。多田修平、飯塚翔太、桐生祥秀、そして藤光謙司の4人で臨んだ決勝。日本は38秒04のタイムで、開催国イギリス、強豪アメリカに次ぐ3位に入り、銅メダルに輝いた 。
この快挙の裏には、日本チームの冷静かつ大胆な戦略があった。
決勝のわずか数時間前、コーチ陣(苅部俊二、土江寛裕)は、アンカーを予選で走ったケンブリッジ飛鳥から、ベテランの藤光謙司に交代するという重大な決断を下した 。この交代の理由は、予選での3走・桐生から4走・ケンブリッジへのバトンパスがわずかに詰まったこと、そしてケンブリッジが6月の日本選手権で痛めたハムストリングスの影響で万全の状態ではなかったことを見抜いたためだった 。前年のリオ五輪で銀メダルを獲得したメンバーをあえて変更するというこの采配は、見事に的中した。
日本のリレーの強さを支えるのは、世界最高峰と評されるバトンパス技術、特に「アンダーハンドパス」である 。腕を大きく伸ばして距離を稼ぐオーバーハンドパスと異なり、アンダーハンドパスはより自然なランニングフォームに近い形でバトンを受け渡せるため、スピードのロスを最小限に抑えることができる 。個々の走力で劣る日本が、アメリカやジャマイカといった強豪国と渡り合うための生命線であり、この銅メダルは、速さだけでなく、長年にわたる科学的な分析と精密な技術の錬磨が生んだ勝利でもあった 。
男子4x100mリレー 決勝結果
順位 | 国名 | 選手 | タイム | 備考 |
1 | イギリス | C.ウジャー, A.ジェミリ, D.タルボット, N.ミッチェル=ブレーク | 37.47 | WL, AR |
2 | アメリカ | M.ロジャース, J.ガトリン, J.ベーコン, C.コールマン | 37.52 | SB |
3 | 日本 | 多田修平, 飯塚翔太, 桐生祥秀, 藤光謙司 | 38.04 | SB |
4 | 中国 | 呉智強, 謝震業, 蘇炳添, 張培萌 | 38.34 | |
5 | フランス | S.デュタンビー, J.ヴィコ, M.ゼゼ, C.ルメートル | 38.48 | |
6 | カナダ | G.スメリー, A.ブラウン, B.ロドニー, M.アジョマレ | 38.59 | |
7 | トルコ | Y.ヘキムオウル, J.A.ハーヴェイ, E.Z.バーンズ, R.グリエフ | 38.73 | |
– | ジャマイカ | O.マクレオド, J.フォルテ, Y.ブレーク, U.ボルト | DNF |
WL: 今季世界最高, AR: エリア記録, SB: シーズンベスト, DNF: 途中棄権。
路上での圧勝 – 50km競歩の快挙
日本の躍進はトラックだけにとどまらなかった。男子50km競歩では、世界にその実力を見せつける圧巻のパフォーマンスを披露した。
荒井広宙が3時間41分17秒で銀メダル、小林快が3時間41分19秒で銅メダルを獲得し、日本勢がダブル表彰台を達成 。さらに丸尾知司も5位入賞(3時間43分03秒)を果たし、この過酷な種目における日本の圧倒的な選手層の厚さを示した 。
この成功は、リオ五輪での銅メダル獲得の勢いを引き継ぎ、日本の競歩が世界のトップレベルに定着したことを証明するものであり、技術的な正確さと忍耐力が求められる種目での日本の強さを改めて印象付けた 。
未来は今 – サニブラウンの登場
チームとしての成功に加え、個人でも日本の未来を照らす輝かしい才能が登場した。当時18歳のサニブラウン・アブデル・ハキームである。男子200mにおいて、彼はウサイン・ボルトが持っていた記録を更新し、史上最年少で決勝に進出するという快挙を成し遂げた 。決勝では20秒63で7位に終わったものの、世界のトップファイナリストと堂々と渡り合った経験は、彼が将来のグローバルスターであることを予感させるには十分だった 。
また、100mでも予選で10秒05の自己ベストをマークして準決勝に進出しており 、日本の短距離界に新たな時代の到来を告げた。
日本のメダリストおよび入賞者(8位以内)
選手名 | 種目 | 結果 | タイム/記録 |
荒井 広宙 | 男子50km競歩 | 銀メダル | 3:41:17 (SB) |
多田修平, 飯塚翔太, 桐生祥秀, 藤光謙司 | 男子4x100mリレー | 銅メダル | 38.04 (SB) |
小林 快 | 男子50km競歩 | 銅メダル | 3:41:19 (PB) |
丸尾 知司 | 男子50km競歩 | 5位 | 3:43:03 (PB) |
サニブラウン・A・ハキーム | 男子200m | 7位 | 20.63 |
SB: シーズンベスト, PB: 自己ベスト。川内優輝(男子マラソン9位)、中本健太郎(同10位)も世界トップレベルの走りを見せた。
分析:日本の成功の設計図
ロンドンでの日本の成功は、決して偶然の産物ではない。それは、個々の選手の身体能力の差を、技術的な洗練とチームとしての結束力で補うという、長期的かつ意図的な国家戦略の結実であった。
この戦略が最も顕著に表れたのが、男子リレーである。日本陸連は科学サポート班を組織し、バトンパスのデータを徹底的に分析 。スピードロスが少ないアンダーハンドパスを磨き上げ、世界と戦うための武器とした。同様に、競歩での強さも、専門的な指導体制とターゲットを絞った強化の成果である 。これらの種目での成功は、パワーで劣る日本が世界で勝つための「勝ちパターン」を確立したことを示している。
さらに、この大会は日本陸上界の精神的な成熟をも象徴していた。特にリレー決勝でのメンバー変更は、その最たる例である。前年のリオ五輪で銀メダルを獲得した「成功の方程式」にあえて手を加え、感傷や過去の実績ではなく、その瞬間のパフォーマンスに基づいた冷徹な戦略的判断を下した 。これは、個人の名声よりもチームの勝利を優先する、新しいレベルの自信と組織的な強さの表れである。
歴史的にマラソンや競歩といった持久系種目で強みを発揮してきた日本が、スプリント種目のリレーで世界レベルのメダルを獲得し、さらにサニブラウンという次世代の純粋なスピードスターを輩出したことは、日本の強みが多様化していることを示している。これは、自国開催となる2020年東京オリンピックを前に、日本が単なる特定種目の強豪国から、より総合的で手ごわい陸上競技大国へと変貌を遂げつつあることを世界に告げる、重要な一歩であった。
新たな担い手たち:驚きと飛躍のチャンピオンシップ
ポスト・オリンピックのパワーバキューム
2017年のロンドン世界陸上は、多くの番狂わせが起きた大会として記憶されている。これは、オリンピック翌年に特有の現象として分析できる 。4年周期の頂点であるオリンピックに向けて心身を極限まで高めたトップアスリートたちが、翌年にモチベーションやコンディションの維持に苦しむことは少なくない 。この「パワーバキューム(権力の空白)」とも言える状況が、新たな挑戦者たちに扉を開き、世代交代を促すのである。
その象徴的な例が、女子100mでリオ五輪2冠のエレイン・トンプソン(ジャマイカ)が5位に沈んだことや 、優勝候補が次々と崩れた女子3000m障害の波乱であった 。絶対的な本命と見られていた選手たちの敗北は、陸上界の勢力図が流動的であることを示していた。
ブレークスルーを果たしたスターと新王朝の誕生
この好機を逃さず、多くの選手が自身初となる世界タイトルを掴み取り、新たな時代の到来を告げた。
- カールステン・ワーホルム(ノルウェー): 男子400mハードルを48秒35で制した彼の勝利は、その後の陸上界を席巻するキャリアの始まりだった。この金メダルが彼の人生を「一夜にして変え」、プロアスリートとしての道を切り開いたと本人が語っている 。
- ユリマール・ロハス(ベネズエラ): 女子三段跳で、女王カテリネ・イバルグエン(コロンビア)をわずか2cm差で破り、14m91で優勝。この劇的な勝利は、ベネズエラにとって世界陸上史上初の金メダルであり、彼女がこの種目を支配する新時代の幕開けとなった 。
- エマ・コバーン&コートニー・フレリクス(アメリカ): 女子3000m障害でのアメリカ勢による1-2フィニッシュは、大会最大級のサプライズだった。コバーンが9分02秒58の大会新記録で優勝し、フレリクスは自己ベストを15秒も更新する走りで銀メダルを獲得。この感動的な結果は、アフリカ勢の牙城を崩す歴史的快挙であった 。
- その他の新王者たち: この他にも、男子200mでトルコのラミル・グリエフ 、男子800mでフランスのピエール=アンブロワーズ・ボッセ 、そして女子100mでアメリカのトリ・ボウイが、それぞれ初の世界一に輝き、大会に新鮮な風を吹き込んだ 。
分析:ボルト/ファラー後の未来を垣間見る
2017年の世界陸上は、陸上界の未来の勢力図を占う、極めて重要な過渡期の大会であった。数々の番狂わせは単なる偶然ではなく、スポーツ界のヒエラルキーが構造的に再編される過程そのものだった。ここで勝利したワーホルム、ロハス、コバーンといった選手たちは、一発屋ではなく、その後の数年間にわたって各分野を支配する中心人物へと成長していった。
この大会が示したもう一つの重要な点は、陸上界の権力が健全に分散し始めたことである。過去10年間、陸上界の物語はジャマイカ(短距離)とイギリスおよび東アフリカ諸国(長距離)によって支配されてきた。しかし、ロンドンではノルウェー、ベネズエラ、トルコ、南アフリカといった、より多様な国々から新たなスターが誕生した。
ロンドンの遺産:熱狂的な成功と消えない影
観客の力
ロンドン世界陸上が雰囲気、商業の両面で大成功を収めた理由は、開催都市ロンドンが持つ陸上競技への深い情熱と理解度に起因する 。大会はチケット販売数で史上最多記録を樹立し(ユニーク観客数33万5,371人に対し、延べ70万5,000枚以上を販売)、世界陸上では異例なことに、午前セッションでさえもスタジアムは常に多くの観客で埋め尽くされた 。この成功の背景には、2012年ロンドン五輪の遺産が大きく貢献している。同じスタジアムを使用し、大規模イベントへの熱狂という既存の文化を巧みに活用したことで、比類なき雰囲気が醸成されたのである 。
経済的・社会的インパクト
大会後の調査報告書は、この成功を具体的な数値で裏付けている。
- 経済的インパクト: 大会はロンドンに7,900万ポンド(約140億円)の直接的な経済効果をもたらし、総経済効果は最大で1億5,960万ポンド(約280億円)に達すると試算された 。
- 社会的インパクトと観光: 大会は地元住民に大きな誇りを与え(住民の97%が誇りに感じたと回答)、コミュニティにポジティブな影響をもたらした 。また、観光振興にも寄与し、市外からの訪問者の69%が「大会参加を機に、今後2年以内にロンドンを再訪する可能性が高まった」と回答した 。さらに重要なことに、大会は人々の健康意識を高め、観客の43%が「大会観戦をきっかけに、より頻繁に運動するようになった」と答えている 。
5.3 消えないドーピングの影
しかし、この輝かしい成功を称賛する一方で、大会期間中、常にドーピングという根深い問題が影を落としていたことも直視しなければならない。
- 中立選手(ANA)の存在: ロシア陸連が国家ぐるみのドーピング問題で資格停止中であったため、潔白を証明した19人のロシア人選手が「中立選手(ANA)」として参加した 。彼らは国旗も国歌もない形で競技に臨んだが、その存在自体が、陸上界が抱える深刻な問題を観客に絶えず想起させるものだった。ANA選手団は、女子走高跳でのマリア・ラシツケネの金メダルを含む6つのメダルを獲得した 。
- ガトリン事件: そして、男子100m決勝でのジャスティン・ガトリンの勝利と、それに対する観客の激しいブーイングは、ドーピング歴のある選手がスポーツ界最高の栄誉を手にすることに対する、ファンやメディアの根強い不満とフラストレーションの爆発点となった 。この一件は、永久追放か、更生の機会を与えるべきかという、スポーツ界における贖罪をめぐる終わりのない議論を再燃させた 。
移行期の決定的な瞬間
2017年ロンドン世界陸上は、21世紀の陸上競技史において、紛れもなく一つの転換点として位置づけられる。
この大会は、ウサイン・ボルトとモハメド・ファラーという黄金世代の感動的な、しかし完璧ではなかった引退劇によって、一つの時代の終わりを明確に告げた。彼らが去った舞台で繰り広げられたのは、混沌として予測不可能、しかし最終的にはエキサイティングな新世代のスターたちの台頭だった。カールステン・ワーホルム、ユリマール・ロハスといった新たな才能が世界の頂点に立ち、陸上界が次なる時代へと進むための活力を示した。
日本にとっては、リレーと競歩での歴史的なメダル獲得、そしてサニブラウン・アブデル・ハキームという若き才能の出現により、自国開催の東京五輪に向けて大きな弾みをつける、記念碑的な大会となった。その成功は、技術と戦略を重視した日本独自の強化方針の正しさを証明した。
しかし、この大会は光と影が交錯する、コントラストの激しいイベントでもあった。筋書き通りの引退劇と衝撃的な番狂わせ。祝祭的な雰囲気と物議を醸す結果。商業的な大成功と、ドーピングという消えない道徳的な問い。男子100m決勝で起きた出来事は、スポーツの公式なルールと、ファンが抱く道徳的感情との間に存在する深い溝を浮き彫りにした。
総じて、ロンドン2017は、陸上界がボルト後の時代に本格的に突入した瞬間であった。それは、スポーツ界に新たなヒーローたちと、解決すべき新たな課題を残し、活気に満ち、しかし不確かさもはらんだ未来への扉を開いた、極めて重要な9日間だったのである。