【2003年パリ】世界陸上大会を振り返る — 伝説とドラマが生まれた夏

【2003年パリ】世界陸上大会を振り返る — 伝説とドラマが生まれた夏

2003年8月、陸上競技の祭典・第9回世界陸上競技選手権大会フランス・パリ郊外のスタッド・ド・フランスで幕を開けました。8月23日から31日までの大会期間中、世界198の国と地域から約1,679人ものトップアスリートが集結し、真夏のパリで熱い戦いが繰り広げられました。

開会式では華やかな演出が競技場を彩り、6万人を超える観衆の歓声に迎えられて各国代表が入場。史上最多級の参加国数となった大会は、オリンピックにも匹敵する規模と熱気で幕を開けたのです。世界中の注目が集まる中、選手たちは誇りと情熱を胸に、次々と伝説とドラマを生み出していきました。

日本勢の快挙と感動のドラマ

日本代表にとって、このパリ大会は歴史に残る躍進の舞台となりました。

中でも象徴的なシーンは、男子200m決勝での末續慎吾の快挙です。末續は20秒38の日本新記録で銅メダルを勝ち取り、世界選手権の短距離種目で日本人初となるメダルをもたらしました。ゴール直後、僅差でのメダル確定を知ると末續は指導者の高野進監督と抱き合い、「魂の雄叫び」を上げて歓喜を爆発させました。その雄叫びと抱擁のシーンは今も語り継がれる名場面です。まさに「日本人スプリンターが遂げた偉業」の瞬間であり、末續自身「何がなんだか分からず、ただただ雄叫びを上げていた」と振り返るほどの圧倒的な感情がほとばしった瞬間でした。この銅メダルは日本陸上短距離界にとって初の世界表彰台であり、その価値を本能で悟った末續の叫びに、多くのファンが胸を打たれたのです。

同じトラック上では男子4×100mリレー日本チームも善戦し、土江寛裕‐宮崎久‐松田亮‐朝原宣治のオーダー6位入賞を果たしました。

また、フィールド種目でも大きな歓喜があります。男子ハンマー投げではエースの室伏広治80m12の大投てきを見せ、銅メダルを獲得しました。室伏は前回2001年大会で銀メダルを手にしており、今大会でも世界の強豪と渡り合って連続メダルを達成。投擲最終試技で放った渾身の一投にスタンドの日本応援団も総立ちとなり、表彰台が確定した瞬間には室伏も力強くガッツポーズ。日本のフィールド種目における明るい話題となりました。

そして大会最終日、女子マラソンで日本勢が見せた活躍は、この大会最大のドラマのひとつでした。

レース序盤から日本代表は集団の先頭争いに加わり、終盤までメダル圏内をキープ。結果、エースの野口みずき2時間24分14秒の力走で銀メダル、続いて千葉真子2時間25分09秒で銅メダルと、日本人が表彰台の2枠を占める快挙を成し遂げました。野口はゴール後に銀メダルの喜びと悔しさの入り混じる涙を流し、千葉と抱き合って健闘を称え合います。さらに4位にも坂本直子が入る圧巻のチーム力で、日本女子マラソン勢は世界にその実力を見せつけました。

この活躍は翌年のアテネ五輪で野口が金メダルを獲得する伏線ともなり、日本マラソン界に大きな希望をもたらしたのです。

また、男子マラソンでも油谷繁2時間09分26秒の健闘で5位入賞し、佐藤敦之・尾方剛もトップ10に入る走りを見せました。個人のメダルは逃したものの、日本男子は上位3人の合計タイムで競うマラソンの団体戦(ワールドカップ)で堂々の優勝を果たし、チームとして世界一の称号を勝ち取りました。

総合成績では、日本は銀1銅3の計4個のメダルを獲得し、入賞者も多数輩出。スタンドの日の丸もひときわ輝きを増し、日本陸上界にとって忘れられない大会となりました。

世界を驚かせた名勝負と新記録の数々

パリ大会では日本選手のみならず、世界のトップアスリートたちが数々の伝説的な名勝負を繰り広げました。

中距離界の皇帝ヒシャム・エルゲルージ(モロッコ)は男子1500m決勝で地元フランスのメフディ・バアラとの接戦を制し、前人未到の世界選手権4大会連続優勝の偉業を達成しました。エルゲルージはゴール後、喜びのあまりエアギターを掻き鳴らすような仕草で飛び跳ね、「I am still the king of 1,500(俺は1500mのキングだ)」と勝利の雄叫びをあげたとも伝えられます。スタンドを埋めた6万人の大歓声とフランス人銀メダリストへの声援をものともせず、“王者”として貫録を示したエルゲルージ。

レース後にはバアラの妻子に歩み寄り抱擁を交わすスポーツマンシップも見せ、スタッド・ド・フランスは惜しみない拍手に包まれました。3分31秒77の優勝タイムは大会記録にも迫る快走で、この日29歳の誕生日を迎えていたエルゲルージは「人生で最も美しい日」と語りつつ、自身の偉業に誇りを示しました。

中長距離では他にも歴史的レースが生まれています。

大会最終日に行われた男子5000m決勝では、当時18歳の新星エリウド・キプチョゲ(ケニア)がレース終盤で王者エルゲルージらとのスプリント勝負を制し、12分52秒79のタイムで金メダルを掴みました。2位エルゲルージ、3位ケネニサ・ベケレ(エチオピア)まで僅か0秒04差以内という歴史的な大接戦であり、ゴール直後は誰が勝ったのか場内がどよめくほどのフィニッシュでした。0.04秒差の決着は世界選手権男子5000m史上最も僅差で、ゴールした3人はいずれも後に「史上最強」と称される名ランナーたち。若きキプチョゲが大御所エルゲルージと新鋭ベケレを破ったこのレースは「世代交代」の象徴ともなり、今なお語り草となっています。

さらに男子10000mでは、エチオピア期待の21歳ケネニサ・ベケレが27分を切るハイペースで押し切り、26分49秒57の大会新記録で初優勝を飾りました。2位には長距離界のレジェンド、エチオピアのハイレ・ゲブレセラシェが入り、26分50秒77とこちらも従来の大会記録を上回る快走。かつて世界記録を樹立し五輪連覇も果たした偉大な先輩を下し、ベケレが新時代の幕開けを告げた瞬間でした。ゴール後、盟友でもあるゲブレセラシェとベケレが健闘を称え合う姿は、長距離王国エチオピアの世代交代を象徴する微笑ましい場面でした。

短距離種目では、男子100mで波乱が起きました。優勝したのは小国セントクリストファー・ネイビス(セントキッツ・ネイビス)出身のキム・コリンズ記録は10秒07と平凡ながらも、並み居る強豪スプリンターたちを抑えてコリンズが金メダルを獲得すると、スタンドからは大歓声が起こりました。セントクリストファー・ネイビスにとって史上初の世界タイトルに母国は沸き、小柄なコリンズが見せた粘り強い走りは「小国の星」として世界中のファンの胸に刻まれました。

一方、女子短距離では後味の苦い出来事もありました。アメリカのケリ・ホワイト女子100mと200mの2冠に輝いたものの、大会中のドーピング検査で違反が発覚し、後日この2つの金メダルを剥奪される事態となったのです。当時、ホワイトの走りは圧倒的で注目を集めていただけに、このスキャンダルは大会に暗い影を落としました(女子100mの金メダルは繰り上がりでトーリ・エドワーズ[米国]へ、女子200mはアナスタシア・カパチンスカヤ[ロシア]へそれぞれ授与)。薬物問題がクローズアップされ始めた時代背景もあり、クリーンな競技への願いが一層高まる契機となった出来事でした。

フィールド種目でも数々の名勝負が展開されました。女子七種競技では、当時20歳のカロリナ・クリュフト(スウェーデン)が伸びやかなジャンプと力強いスプリントを武器に合計7001点のハイスコアをマークし、堂々たる初優勝を果たします。クリュフトのスコアは大会新記録に迫る快挙で、競技場を颯爽と駆け回る若き女王の笑顔が印象的でした。その陰で地元フランスのベテラン、ユニス・バルベルは懸命に食らいつきましたが6755点で惜しくも銀メダル。

しかしバルベルは翌日に行われた女子走幅跳(走り幅跳び)で見事に雪辱します。最終6回目の跳躍で6m99を跳び、逆転で金メダル! 地元フランスに今大会初の金メダルをもたらし、スタンドは総立ちの歓喜に湧きました。バルベルにとっては七種の悔しさを晴らす劇的な金メダルであり、母国ファンの大声援に応えてトラックに仏国旗を広げてウイニングランする姿は、この大会屈指の感動的なシーンとなりました。

他にも女子棒高跳びではロシアのスベトラーナ・フェオファノワ4m75の大会新記録で優勝し、当時無名だったエレーナ・イシンバエワ(ロシア)が銅メダルを獲得。後に女子棒高跳界を席巻するイシンバエワの登場を予感させる結果となりました。

また男子400mハードルでは、ドミニカ共和国の英雄フェリックス・サンチェス47秒25の好タイムで圧勝し、シドニー五輪から続く無敗記録を更新。表彰台でスーパーマンのマントを掲げて喜ぶ姿に、「スーパー・サンチェス」の愛称どおりの強さを世界中に印象付けました。

さらに競歩20kmではエクアドルのジェファーソン・ペレス1時間17分21秒の世界新記録を樹立し金メダル。炎天下のパリ市街地コースで驚異的なスピードで歩き抜き、「南米の小さな巨人」と呼ばれるペレスが世界記録まで打ち立てたことに大きなどよめきが起こりました。

こうした幾多の名場面が生まれた2003年パリ世界陸上。開催国フランスも女子4×100mリレーでの金メダル(フランスチームは41秒78をマーク)をはじめ、合計3個の金メダルを獲得する健闘を見せ、大会を通じて地元観衆を熱狂させました。

大会全体のメダルランキングでは米国が金8個でトップ、次いでロシアが金7個と続き、フランスが開催国として堂々3位に入りました。日本勢も金こそなかったものの存在感を示し、アジアからの挑戦が光る大会となりました。

次代へのレガシー

パリ世界陸上で繰り広げられた数々のドラマは、陸上競技の歴史に鮮烈な印象を残しました。

初メダルに沸いた日本短距離界はその後も北京五輪のリレー銀メダル(2008年)へと繋がり、女子マラソンの野口みずきは翌2004年アテネ五輪で悲願の金メダルを達成。

一方、世界に目を向ければ、エルゲルージはパリ大会で逃した5000m金メダルをアテネ五輪でついに手中にし(1500mとの二冠)、キプチョゲは後にマラソン界の絶対王者として君臨するなど、2003年の戦いは後の伝説の序章ともなりました。

パリの地で生まれた幾多の名勝負と記録は、今なお陸上ファンの語り草です。スタッド・ド・フランスの夜空に響いた歓声と涙、そしてゴールテープを切った瞬間の選手たちの笑顔――2003年夏のパリは、陸上競技の持つドラマ性と魅力を余すことなく示し、未来へと受け継がれる大きなレガシーを残したのでした。