
1995年8月、スウェーデン第二の都市イェーテボリで第5回世界陸上競技選手権大会が開催されました。メイン会場のウッレヴィ競技場には9日間で延べ約54万6千人もの観衆が詰めかけ、大会は大いに盛り上がりました。参加国は191か国、出場選手は1,800人以上にのぼり、実施種目数は44種目。
今回はイェーテボリの世界陸上について振り返ってみたいと思います。
大会概要
大会期間中は好天に恵まれ、開会式ではスウェーデン国王カール16世グスタフが臨席するなど、北欧の地で世界のトップアスリートたちが熱戦を繰り広げました。
特筆すべきは、開催国スウェーデンがメダルゼロに終わったことです。世界陸上のホスト国が一つもメダルを獲得できなかったのは史上初の出来事で、大会後にも話題となりました。
また日本からは30名の選手が出場しましたが、残念ながら日本もメダル獲得はなし。男子4×100mリレーで5位入賞、男子400mハードルで山崎一彦が7位入賞、女子10000mで鈴木博美が8位入賞したのが最高成績でした。アメリカ合衆国が金メダル12個(合計19個)と圧倒的な強さを見せつけ、ベラルーシ(2個)、イタリア(2個)、ドイツ(2個)などが続きました。米国の独壇場となった一方で、全体的に多くの国にメダルが行き渡り、陸上競技の国際化が進んでいることも印象付けられました。
世界新記録ラッシュ:トラック&フィールドで生まれた快挙
男子三段跳
この大会では各種目で世界記録や大会新記録が続出し、歴史に残る名場面がいくつも誕生しました。なかでも最大のハイライトは、男子三段跳でイギリスのジョナサン・エドワーズ選手が立て続けに世界記録を更新したことです。
エドワーズは決勝の1回目の跳躍で18m16をマークして史上初めて18mの壁を突破すると、さらに2回目の跳躍で驚異の18m29を記録し、自身の世界記録を塗り替えました。人類史上初の「60フィートジャンプ(約18.29m)」に会場は騒然となり、銀メダルに終わった選手との差は実に67cmという圧倒的な優勝劇でした。
この18m29の世界新記録はその後も長く破られず、四半世紀以上にわたり男子三段跳の頂点に君臨する伝説的記録となりました。
女子三段跳
一方、女子三段跳でも歴史的快挙が生まれました。
ウクライナのイネッサ・クラベッツ選手が決勝で15m50の世界新記録を樹立し、女性で初めて15mの大台を大きく突破したのです。それまでの世界記録を41cmも上回る驚異的なジャンプで、2位のイバ・プランジャバ(ブルガリア)も15m18と旧記録を上回りましたが、それでもクラベッツには及びませんでした。
このクラベッツの世界記録も長らく更新されず、後年に至るまで女子三段跳の金字塔として語り継がれています。
女子400mハードル
トラック種目でも記録ラッシュが続きました。女子400mハードル決勝はまさに歴史的名レースとなり、優勝タイム52秒61の世界新記録と共に幕を下ろしました。
優勝した米国のキム・バッテン選手と2位のトーニャ・ビュフォード選手(米国)はゴールまでデッドヒートを展開し、その差はわずか0.01秒。【52秒61】のバッテンと【52秒62】のビュフォードはいずれも従来の世界記録(52秒74)を上回っており、世界最高記録を懸けたチームメイト同士の激闘は大観衆を大いに沸かせました。
3位にもジャマイカのデオン・ヘミングス(後のアトランタ五輪金メダリスト)が入るハイレベルなレースで、この種目の歴史に残る名勝負として記憶されています。
その他にも数々の大会新記録が誕生しました。米国のマイケル・ジョンソン選手は男子200mと400mの二冠を達成し、両種目で大会記録となる19秒79(200m)と43秒39(400m)をマークしています。ジョンソンのカーブから直線にかけての圧巻の加速力は「人間離れ」と称賛され、翌年のアトランタ五輪での世界記録樹立への布石ともなりました。
また女子長距離では、初実施の女子5000mでアイルランドのソニア・オサリバン選手が14分46秒47の大会新記録で優勝。これは世界陸上におけるアイルランド勢初の金メダルでもあり、母国のみならず欧州中から祝福されました。
語り継がれる名勝負とドラマ
記録面だけでなく、1995年大会では後世に語り継がれる名勝負やドラマも数多く生まれました。
まず注目すべきは女子200mのエピソードです。アメリカのグウェン・トレンス選手が向かい風2.2mの中を21秒77の好タイムでゴールし、一旦は優勝したかに思われました。しかし、その直後にまさかの失格が告げられます。実はレース中にトレンスがコース内側のラインを踏んでしまっていたことがビデオ判定で判明したのです。さらに大会中にトレンスのスパイクシューズが盗難に遭い、借り物のシューズで走っていたという舞台裏も明らかになり、この“悲運の失格劇”は大きな話題となりました。
繰り上がりで金メダルを手にしたのはジャマイカの名スプリンター、マーリーン・オッティー。オッティーは5大会連続の200mメダル獲得となり、ベテランの執念が実った形となりました。
男子短距離では、100mでカナダ勢が金銀を独占する番狂わせが起きました。優勝はドノバン・ベイリー(9秒97)、2位も同じカナダのブルニー・スリン(10秒03)で、米国勢や前回覇者のイギリスのリンフォード・クリスティを抑えての快挙です。
ベイリーはこの翌年のアトランタ五輪でも世界新記録で優勝し、一躍世界最速の男となります。また4×100mリレーでもカナダが38秒31で優勝し、なんとアメリカ代表はバトンミスにより決勝に進めずメダル圏外という波乱の結果となりました。2位のオーストラリア、3位のイタリアという顔ぶれも当時としては新鮮で、世界のスプリント界に地殻変動が起きた大会とも言えます。
中長距離でも名勝負が展開されました。男子1500m決勝では、世界記録保持者のヌールディン・モルセリ(アルジェリア)と新鋭ヒシャム・エルゲルージ(モロッコ)が火花を散らし、モルセリが3分33秒73で逃げ切って連覇を達成。エルゲルージは僅差の銀メダルに終わりましたが、当時21歳。その後このモロッコの若きランナーは中距離界の王者へと成長していきます。
一方、女子800mでは3年近く無敗を誇っていたマリア・ムトロ(モザンビーク)がまさかの予選失格に終わり、キューバのアナ・キロットが金メダルを獲得。ムトロの予期せぬ敗退もドラマの一つでした。
フィールド種目では「皇帝」セルゲイ・ブブカが魅せました。男子棒高跳でブブカ(ウクライナ)が5m92を一発クリアし、世界選手権5大会連続優勝という前人未到の偉業を達成。自己の持つ世界記録更新こそなりませんでしたが、安定感抜群の跳躍で貫禄の金メダルでした。
また男子ハンマー投ではアンドレイ・アブデュバリエフ(ウズベキスタン)が81m56で連覇、男子円盤投ではドイツのラルス・リーデルが3大会連続優勝と、フィールドでは経験豊富な王者たちが盤石の強さを発揮しました。
マラソンと競歩にも触れておきましょう。男子マラソンはスペインのマルティン・フィスが制し、女子マラソンはポルトガルのマヌエラ・マシェードが優勝。
女子マラソンではヨーロッパ勢が上位を独占しましたが、実はコース上のハプニングもありました。スタート直後に選手たちがトラックを1周せずに競技場を飛び出してしまい、結果的にコースが約400m短かったことが後に判明したのです。大幅自己ベストに喜んだ選手もいたものの記録は参考扱いとなり、この大会ならではの珍事として語られています。
また女子競歩ではロシアのイリーナ・スタンキナが18歳で優勝し、世界陸上史上最年少の金メダリストとなりました。このように競技ごとに様々なドラマが生まれたのも、1995年大会の大きな魅力でした。
メダル獲得数ランキング:米国が圧倒
最後に大会の国別メダル獲得数ランキングを振り返ります。
前述の通りアメリカ合衆国が金12個・銀2個・銅5個の計19個でダントツのトップ。トラックからフィールドまで厚い選手層を見せつけ、他国を大きく引き離しました。
2位にはベラルーシ(金2・銀3・銅2)が入っています。ベラルーシ勢は女子投擲(円盤投ややり投)や男子十種競技などで躍進が光りました。
続いてイタリアとドイツが各金2個(計6個)で並び、キューバやケニアもそれぞれ金2個を獲得する健闘を見せています。中でもキューバは男子走高跳や女子800mなどで存在感を発揮し、東アフリカの雄ケニアは中長距離で安定の強さを示しました。
なお、開催国スウェーデンと日本は残念ながらメダル獲得はゼロに終わりました。
こうして振り返ると、1995年イェーテボリ大会は世界新記録が次々と誕生し、名勝負とドラマにも事欠かない大会でした。大会の熱狂と感動は、今なお陸上ファンの語り草となっています。翌年のアトランタ五輪や、その後の世紀をまたぐ陸上界の飛躍に向けて、多くの伝説を刻んだ1995年世界陸上――そのハイライトは、まさに陸上競技の魅力が凝縮された一ページだったと言えるでしょう。