2001年8月、カナダ・エドモントンのコモンウェルススタジアムで第8回世界陸上競技選手権大会(通称:世界陸上2001エドモントン大会)が開催されました。大会期間は8月3日から12日までの10日間で、世界189か国からトップアスリートたちが集結しました。
実は世界陸上がアメリカ大陸で開かれたのはこれが初めてであり、カナダにとっても大きなイベントでした。しかし皮肉にも開催国カナダはメダルを一つも獲得できず、これは1995年イェーテボリ大会以来2度目の珍事となりました。オリンピックイヤー直後ということもあり、新旧のスター選手が入り交じり、多くの記録とドラマが生まれた大会となりました。
日本代表のメダルラッシュと活躍
今回の日本代表は男子31名・女子19名の計50名が参加し、銀メダル2個・銅メダル1個を獲得する活躍を見せました。
まず注目は男子ハンマー投げの室伏広治です。室伏は1投目から80m超えの好投を続け、2投目に82m46をマークして一時トップに立ちました。金メダルが見える展開でしたが、ポーランドのシモン・ジョルコフスキが5投目に自己新記録となる83m38を投げ逆転。室伏も直後の5投目で82m92まで伸ばして追いすがりましたが僅かに及ばず、惜しくも銀メダルとなりました。それでもこの銀は世界陸上の投てき種目で日本人初のメダルという快挙であり、アジアの鉄人と呼ばれた父・重信さん譲りのパワーで日本陸上界の歴史を塗り替えました。
一方、トラック種目でも日本に初のメダルが生まれました。男子400mハードル決勝で為末大が果敢な走りを見せ、自己ベストの47秒89で銅メダルを獲得しました。この47秒89は今なお日本記録として残る快走で、為末は世界陸上の男子トラック種目で日本人初のメダリストとなりました。レースは途中まで為末が先頭に立つ積極的な展開で、最後は世界の強豪フェリックス・サンチェス(ドミニカ共和国)らにかわされたものの、堂々の表彰台となりました。
さらに女子マラソンでは土佐礼子が大健闘。レース後半までシドニー五輪銀メダリストのリディア・シモン(ルーマニア)と競り合い、2時間26分06秒のタイムで銀メダルに輝きました。チームメイトの渋井陽子も2時間26分33秒で4位入賞と健闘し、日本女子マラソンの層の厚さを示しました。35km地点ではシモン、土佐、渋井の3人が先頭集団を形成し、37km過ぎで渋井が脱落した後はシモンと土佐の一騎打ちに。残り1kmでシモンがスパートし、土佐はついていけなかったものの見事な銀メダルを勝ち取りました。この女子マラソンの結果は、日本女子にとって世界大会でのメダル獲得として大きな自信となりました。
メダル以外にも日本勢は健闘しています。男子マラソンでは油谷繁が5位、森下由輝が8位に入り(男子マラソン日本勢ダブル入賞)、男子20km競歩でも柳沢哲が7位入賞を果たしました。
短距離リレーでも朗報です。男子4×100mリレーは松田亮・末續慎吾・藤本俊之・朝原宣治という布陣で挑み、38秒96の好タイムで4位入賞を果たしました。これは世界陸上の男子4×100mリレーで日本勢が3大会ぶりに入賞した快挙であり、当時まだ無名だった末續慎吾ら若手の台頭も感じさせるレースでした。
世界記録・大会記録と注目のスター達
世界の舞台でも数々の名選手が記録を打ち立て、存在感を示しました。
短距離では、男子100mでモーリス・グリーン(アメリカ)が9秒82(-0.2m/s)をマークし、大会3連覇を達成。グリーンは決勝の80m付近で腿に軽い肉離れを起こしながらも驚異のスピードで押し切って優勝しており、その勝負強さに観客も沸きました。
前回大会まで100mと200mの2冠を達成してきたグリーンですが、今大会では200mには出場せず(※怪我の影響もありました)、200mは代わってギリシャのコンスタンディノス・ケンテリスが20秒04で優勝しています。シドニー五輪でも優勝したケンテリスは無名から突如現れたスプリント王者として話題をさらい、オリンピックに続く世界一でその実力を証明しました。
ハードルでは、男子110mハードルでアレン・ジョンソン(アメリカ)が優勝し、自身3度目の世界タイトルを獲得しました。また男子400mハードルではフェリックス・サンチェス(ドミニカ共和国)が初優勝。以降この種目で無敵を誇るサンチェスにとって、エドモントンは世界の頂点へのスタート地点となりました。
女子種目を見ると、マリオン・ジョーンズ(アメリカ)が女子100mでまさかの敗北に遭っています。ジョーンズは五輪3冠の絶対女王でしたが、決勝でジャナ・ピントゥセビッチ=ブロック(ウクライナ)に敗れて銀メダルに終わりました。ピントゥセビッチは10秒82の自己ベストで優勝し、ジョーンズに1997年以来初めて土を付けた選手となりました。この波乱には会場も大きなどよめきが起こり、ジョーンズはその後200mは欠場しています(女子200mはデビー・ファーガソン=マッケンジー(バハマ)が22秒52で金メダル)。
女子短距離では他にも、女子400mでエイミー・ムバック・ティアム(セネガル)が優勝するサプライズがありました。ティアムはアフリカ勢として初の女子400m世界王者となり、当時無名ながら49秒86の快走で金メダルを掴み取りました。
フィールド種目では、男子やり投げでヤン・ゼレズニー(チェコ)が92m80の大会新記録を樹立し、3大会ぶりに金メダルに返り咲きました。世界記録保持者でもあるゼレズニーは35歳の今大会、初投で出遅れながらも後半にベテランの底力を発揮し、この記録は今なお大会記録として残っています。
男子棒高跳びではドミトリー・マルコフ(オーストラリア)が6m05の大会新で優勝。6m台に乗せる圧巻の跳躍で、80年代後半から90年代にかけて6連覇した“鳥人”セルゲイ・ブブカの時代から新時代への幕開けを感じさせました。
また女子棒高跳びでも前回王者のステイシー・ドラギラ(米)と新星スベトラーナ・フェオファノワ(ロシア)の激闘があり、ドラギラが4m75の大会新記録で勝利。女子棒高跳びはまだ歴史の浅い種目でしたが、世界の高さが一気に更新される見応えある競技となりました。
中長距離にも偉大な記録が生まれました。男子1500mではモロッコのヒシャム・エルゲルージが大会3連覇を達成し、世界記録保持者として貫禄の強さを見せました。女子800mではモザンビークのマリア・ムトラ(マルトリ)が金メダルを獲得し、こちらも世界選手権では1993年以来となるタイトル奪還となりました。
こうした往年の王者の復活と新チャンピオンの誕生が混在した点も、エドモントン大会の特徴と言えるでしょう。
ドラマチックだった名勝負の数々
エドモントン大会は劇的な名勝負や接戦が多かったことでも知られています。
中でも語り草となっているのが男子マラソンのゴール勝負です。シドニー五輪金メダリストのゲザハン・アベラ(エチオピア)とケニアのサイモン・ビウォットが序盤から抜け出し、42.195kmの死闘の末に同時にスタジアムへ駆け込みました。残り約200m、トラック勝負でアベラが渾身のスパートを繰り出し、ビウォットとの差は僅か1秒という史上稀に見る大接戦でフィニッシュ。世界選手権マラソン史上最も僅差の決着となり、「どちらが勝ってもおかしくなかった」と言われる劇的なレースでした。
この一騎打ちはまさにエチオピア対ケニアという長距離王国同士の意地のぶつかり合いで、沿道の観客も手に汗握る展開に熱狂しました。
接戦といえば他にも、女子10000mはエチオピア勢同士のデッドヒートとなりました。最後はデラルツ・ツルがベルハネ・アデレを0秒04差で振り切り金メダル。0.04秒差というわずかな差にスタジアムはどよめき、エチオピアは3位のゲテ・ワミまで表彰台を独占しました。
フィールド種目でも女子走幅跳でフィオナ・メイ(イタリア)がタチアナ・コトワ(ロシア)を1cm差で下す劇的勝利があり、勝負の女神の微笑みひとつで明暗が分かれるシーンが多く見られたのです。
また、リレー種目の波乱もこの大会のドラマ性を高めました。
男子4×100mリレーでは、アメリカチームがバトンミスで決勝に残れず波乱が発生。金メダルを勝ち取ったのは南アフリカで、モーネ・ナゲルらのチームが38秒47の南アフリカ新記録で初優勝を飾りました。銀メダルはトリニダード・トバゴ、銅メダルはオーストラリアと、普段表彰台に上がらない国々が躍進したのです。一方で日本チームも先述の通り4位と健闘し、あと一歩でメダルというところまで迫りました。
また男子4×400mリレーではバハマが優勝しています(当初1位のアメリカは後に失格)。バハマは個人の男子400mでもエイヴァード・モンカーが金を獲得しており、リレーとの2冠で小国ながら大会を盛り上げました。
そのほか忘れてはならないエピソードとして、女子5000mで起きたドーピングを巡る騒動があります。ロシアのオルガ・イェゴロワが大会直前に行われた薬物検査でEPO陽性反応を示したにもかかわらず、手続き上の不備により出場を許可されてしまったのです。
潔白を訴える他の選手たちは猛抗議し、決勝前にはイェゴロワに対するブーイングがスタンドから巻き起こりました。結果的にイェゴロワは女子5000mで優勝しましたが、表彰式で観客の拍手はまばらで、2連覇を逃したガブリエラ・サボー(ルーマニア)は「彼女を真のチャンピオンとは認めない」とコメントするなど、後味の悪さが残る出来事でした。
クリーンなスポーツの大切さを改めて考えさせられる一幕でもありました。
おわりに
こうして振り返ると、2001年エドモントン世界陸上競技選手権大会は、日本勢の躍進と数々の名勝負が光る大会でした。
室伏広治や為末大、土佐礼子といった日本代表の活躍は日本中に大きな感動を与え、世界のトップレベルで戦えることを示しました。また、世界的にも記録ラッシュや世代交代、劇的な接戦が多く、生涯忘れられない名シーンが生まれた大会でした。
当時を知るファンにとっては懐かしく、また新たに陸上ファンになった方にとっても語り継ぎたい「世界陸上2001エドモントン」。この大会で刻まれた記録とドラマは、今なお陸上競技史に鮮やかに刻まれています。